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その表題は思考停止を促していないか

2010年03月11日 | 読書
 寺脇氏は今年も隣市の十文字映画祭に来たのだろうか、などと思いながらその本に手を伸ばしていた。

 『百マス計算でバカになる』(寺脇研著 光文社)

 過激なタイトルである。
 「常識のウソを見抜く12講座」という副題もあり、百マス計算を取り上げたのは冒頭の1講座に過ぎないのだが、それを表題と掲げている。つまりそれだけ百マス計算という言葉が世間に行き渡っていることだと思う。

 教育コーナーに陳列されていたので、一般、親向けというより教師向けということかもしれない。寺脇研という名前の認知度もそうだと思う。ただ内容を見ると、百マス以外は現代の政治、文化、科学、マスコミといったものが取り上げられているので、やや新書っぽい。(大学での講義アウトラインということろか)

 さて、その表題について、である。
 一言で括れば「百マス計算ブーム(もう終わっているのか?)への危惧」ということになる。盲目的にそうした教材、方法を使うことは思考停止状態に陥っているのだという。
 また著者自身は「ゆとり教育」の旗手として、そうした機械的な計算練習などの価値はあまり認めたくないという書きぶりである。

 そんなことをしても多様な個性は育たない、国際化、情報化の進む社会で生き残れるのか…そうした話は繰り返し聴いてきた、読んできた。確かに総論としては肯けても、各論いや具体的なアプローチのレベルで、それは有効なのか。それが不満であったし不安でもあった。
 いうなれば、寺脇氏のそうした雑さが、本質的には正しいと思われる「ゆとり教育」を追いこんでしまった遠因のように感じるのは私だけだろうか。

 この表題も、全く逆の「百マス計算でリコウになる」も当然のごとく、百パーセントはあり得ない。

 何をねらって、どう使うか、たえず現場は考えている。
 「百マス計算」が「パソコン」であっても「ディベート」であっても「問題解決学習」であっても、それは同様であろう。
 
 だから、こうした表題の言葉はほとんど役立たずである。
 
 過激な表現が氾濫している。それは読者の関心を惹くためだろうが、結局そういう類はある面で思考停止を促しているとも言える。