すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

届かない離せない

2010年04月12日 | 雑記帳
 先週末、友人らと小宴をもったときに、電子書籍の話題が出た。
 iPad欲しいなあ、Kindleでもいいか、などと思ってはみるが、実際まだ手が届かない。

 増えすぎる本のこともあるので、確かにデータ化されてすぐ読みだせるのだったら便利だろうなあ…これは以前、かの脳科学者茂木健一郎がテレビで紹介したのを見て強く思った。レベルの圧倒的な差は言うまでもないことだが…。

 さて、先日届いた教育科学「国語教育」5月号の野口芳宏先生の連載は、「国語人は読書好きであれ」と題されたものだった。
 そこには画面活字と紙面活字の違いについて述べられている部分がある。

 スクロールして読む画面活字であるが、「ここは!」と思うところはプリントアウトしたくなること(まさしく私もそうだ)を踏まえ、紙面活字の方がなんとなく…という内容なのだが、次の一言には得心がいった。

 動かない物に向き合って、動くのは読み手の方の心である。
 
 もちろん電子書籍であっても、使用者の操作なしに動くことはないのだが、それはやはり動的であることは否めない。動的であること自体が特徴であり、それらがつながり広がりを求めているのである。

 閉じられた本を開く、ページをめくるのは動作だが、やはり紙の本は静的である。静的であるからこそ、読み手が自分の中に取り込みやすい(様々なパターンや時間に対応するという意味で)のではないか。

 双方を使いこなすのが理想である。アナログ思考と言われても、紙書物はまだまだ手離せないと思う。