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求めるもので距離が違う?

2010年04月25日 | 読書
 先週読んだ『叱る技術』(上條晴夫著 学陽書房)の中の第1章「叱る技術」のトップにあるのが、「距離をとってから叱る」。

 かつて、上條先生を招いてお話を聴いたとき、それから児童対象の授業をしていただいたときも、「距離感」という点が強く印象に残っている。

 メモ程度であるが、こんなふうに書き残している。↓
 http://homepage3.nifty.com/spring21/CCP028.html

 叱るという特定の時だけでなく、考えや思いを伝える場合に、距離をどうとるかは大きなポイントになってくるのだろう。

 私にはそのことを強く意識した記憶も記録もないので、自分なりに想像してみるだけだが…
 単純に考えると、距離が近い方が音量、表情ともに大きく感じられ迫力があるはずなのに、ある程度の距離をとった方がより強く印象づけられる場合がある。これは表現効果ということなのだろうか。
 
 いや、これはもしかしたら、自分の言葉を伝えたい届けたいというより、対象から何を引き出したいかによって変わるものではないだろうか…ふとそんな仮説を立ててみる。
 
 つまり、深い思慮、反省、論理的な考えなどを求めたいときは、ある程度距離があった方がいい。
 逆に、同意、同調など個人的、恣意的な返答を期待したいときは、すりよっていった方がいい。

 大雑把すぎる暴論か。

 エドワード・ホールという学者の言っている「密接距離」「個体距離」「社会距離」という区分とも関連がありそうに思う。
 単に密接距離だと表情がゆがんでみえ、正しく伝わりにくいので、論理的な思考等に向かないだけなのかもしれない。

 ちょっと観察してみたい。