すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ジョークは声にのせて

2010年04月15日 | 読書
 アメリカ映画などを観ていると、腹を抱えたり身体を叩き合ったりして笑い合うシーンがよく出てくる。ジョークということなのだろうが、その意味がよくつかめずポカンとしてしまったことも結構あったなあ。

 日本の映画やドラマには、めったに見られない場面でもある。そもそも実生活でそういった事はめったに起こらないだろう。
 ジョークには文化的背景の共有が必要な場合も多い。日本人にそれがないとは言わないが、それが日常会話の中に出てくる頻度はきわめて少ないということか。

 「日本一のジョーク通を自称する」天馬龍行という人が書いた『毎日笑って半年笑える ジョーク世界一』(アカデミー出版)という本を読んだ。
 190日分のジョークが載せられているのだが、「うまい!」「なるほど」はあっても、残念ながら声を出して笑うまでにはいかなかった。

 太ったヤンキーがよくするように「ワッハッハッ、どうだい、兄弟。傑作じゃねえか、おい、ワッハッハッハ…」と肩を叩く相手もいない(もっとも風呂場で一人読んでいるわけだから)ことが訳ではないだろう。

 実感としてぴんとこないからだろうか。
 弁護士ネタ、恋愛ネタ、夫婦ネタ、ロシアなどの外国ネタ…バラエティに富んでいて、意味はわかるのだが、笑えるまでいかないのはどうしてだろうか。設定や落ちも理解できるが、笑いを呼び起こす表情を感じとることができないのかもしれない。
 
 活字による伝え方の不利なところもあろう。これが音声であればもう少しクスリとなるのは多かったと思う。

 ジョークは読むものではない。声にのせてみることで、瞬間的に笑いをつかみとっていく性質を持つような気がする。

 それにしても、この本には考えさせられる?表現がいっぱいだ。

 特に「141日目 青春」は、お見事だと思った。

 青春時代とは、両親も人生の現実を知るべきだと子どもたちが思い始める時のことを言う。 

 ワッハッハッ どうだい兄弟!