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数と質で足元を見直す

2010年04月07日 | 雑記帳
 怒涛のように、という形容は大げさだが、仕事量的にはかなり負担を感じたここ数日だった。校外の仕事の割合が圧倒的というのも悲しいが…。

 それはさておき、ようやく少しの休息時間を見つけることができた今日の午後、手元にある教育雑誌を開くと、冒頭に文科省の副大臣の文章があった。
 何度なく取り上げられるが、全国学力テストのことについて、こんなふうに切り出している。

 全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)の成果の一つは、調査をやらなければおそらく誰も気づかなかった、秋田県が全国1位だということがわかったということです。
 
 確かに事前にそれを予想できた人はいなかったろう。
 本県内部でもそうだったはずだ。それを副大臣が「成果」と呼ぶとすれば、何かしらのアクションを意識しているのだと思う。
 その文章のなかには本県の結果の良さについて次の理由が書かれている。

 その一つは、教員の質と数です。
 二つ目は、三世代同居率が一番高いこと。
 三つ目は、地域の方が頻繁に学校に来ていること。
 
 細かい分析をもとにした理由づけなのだろうし、それにイチャモンをつけるだけの根拠もないが、内部にいる人間としてはぴんとこないことも確かだ。

 ただ、肝心の一つ目だけを考えれば、確かに「教員の数」についてそうした施策を続けてきた経緯はわかる。
 その先頭にたった前教育長が語るには、中でも生活サポート的な職員の配置事業が有効だったのではないかということだ。これは実際あまり注目されていないが、現場にいる者にとっては肯ける。
 ある意味の多様性を受けとめるには、数が決定的だということだ。

 「質」についてはかなり微妙なものだが、実感的ないい例がつい最近あった。
 家庭の都合で本校に三学期の期間だけ転入してきた姉妹がいたが、この子らや親が、以前いた都市部の同規模の学校(といってもやや田園地帯であるそうだ)との比較を語った。

 それは一言でいえば「厳しさ」であった。
 学習、生活いろいろな面での制約が多いということだそうだ。
 本校だけが特別ということは考えられないし、それらは私たちが持つ一つの質ととらえていいのかもしれない。
 何より、その制約を子も親も肯定的にとらえていただいたことが印象に残った。

 点数がどうのこうのというより、厳しさ、制約のある場は初等教育としては自然だろうという思いは強くなった。
 それらを質と呼ぶために必要なことは、小手先に陥らないための私たち自身の語り合いであり、指導の吟味だ。