すぷりんぐぶろぐ

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声は鍛えられてきたか

2010年04月20日 | 読書
 かなり前のことである。
 地方のある首長の演説を聞いたことがあった。
 低く落ちついた声で始まったその話は、徐々に(本当に知らず知らずのうちに)高く強い声になり、叫ぶような調子で締めくくりとなった。聴衆はそれにつられた様に熱い拍手を送ることになった。

 はああ政治家という人種の語り方とはこんなふうなものか、と感心した記憶がある。
 その後、数多くはないがそんな機会に同じようなことを感じたものである。
 弁論技術としてはポピュラーだと思うが、実際にそうしたことを「習った」経験はないので、新鮮に感じたのだろう。

 『「声」の秘密』(アン・カープ著 梶山あゆみ訳 草思社)は読み応えのある本だった。
 「声の生態」「声を支配するもの」「声の温故知新」という全三部、16章の構成で、言語学や心理学はもちろん人類学、ジェンダーや文化面など非常に多くの視点から「声」が語られている。
 容量の少ない頭脳ではそんなに消化できたとは思わないが、多面的な切り口は興味深く、気持ちをそらさず読み進めることができた。

 声が素晴らしい道具であることは誰しも認めるだろう。
 そして、文字・映像文化の圧倒的な進歩によって視覚優先の世界になっている現状であることもわかる。
 そういう認識をもとに、声の重要性がどんな意味を持つか、意味づけもってどんなコミュニケーションが可能なのか…。

 声は誰のものか 

 著者が終章でこう問いかける。
 ここには、明らかに「声と体が切り離され」る現代社会への危機がある。
 それはネット社会の進展に伴う「装置」が拡大していることが主たる要件だが、身近なことでいえば、声を指導する教育の形骸化も指摘されているようでぎくりとした。

 政治家のようにとは言わないが、教師は声を使いこなすことが出来ているのかという問いかけ、そして「声を鍛える」というテーマにどう向かうか…考えることはいっぱいだ。