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「教育は人なり」の否定と強調

2010年04月14日 | 雑記帳
 昨日の協議会で、冒頭の教育長挨拶に、
「『教育は人なり』という言葉は、私たちが身内で使う言葉だ」
という内容があった。

 確かに。

 人によって左右されるような教育のあり方は、行政を担う方々にとっては排除されるべきものだろう。
 保護者にとってもかなり怖い言葉である。

 年度初め、学級のシステムづくりのことを自分も繰り返して言ってきたつもりである。一定のラインを確保して教育活動が営まれることこそ肝心だと考えているからだ。
 しかしまた、教師の個性も大事にすべきという点もずいぶんと強調してきた。

 今改めて「教育は人なり」という言葉をもとに、その点を振り返ると

 「教育は人なり」を否定するシステムをつくりあげる
 「教育は人なり」の意識を持ち続ける教師でありつづける

 この二つが併行して行われることが望ましいのではないか、と考えられる。

 学級担任制である小学校の現場では、いくらりっぱなシステムがあってもそれを運用する教師には強さや柔軟さが求められる。
 また教師の個性とどうしても合わないシステムには無理が生ずることもあろう。その意味では何をどうシステム化させていくかが、「教師の人」を表していくことなのかもしれない。

 ちなみに、文科省にもこんなコラムがありました。
 http://www.mext.go.jp/magazine/backnumber/maeka/010.htm