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雑談は雑には語れない

2010年04月16日 | 読書
 少し以前に発売されたビジネス誌をみていたら「雑談力」という特集があった。
 何でも「力」をつければそれなりに感ずるものだが、ビジネスの世界では雑談が好印象につながることは多いだろうし、一つの強力な武器と言えるかもしれない。

 教育現場であれば、対象は同僚だったり子どもだったりするわけだが、その点を意識している人は少ないだろう。
 けれども現実に雑談の上手な人は、周囲に認められ、子どもにも信頼を得ているのではないか、という気がする。

 子どもに対して語る場合は、教室でのいわゆる脱線話、また休み時間におけるさりげない会話ということになるだろう。
 同僚とは実際そんなに雑談できる時間的余裕のあるところなどそうはないだろう。しかし皆無とは言えないはずだ。量的にはわずかでも毎日のように仕事以外の言葉は交わしていると思う。

 自分自身けして「雑談力」のある方ではない。他人の語りを見て時々こりゃたまらんと思うことが、きっと自分にも当てはまるように感じているからだろう。
 それはどんなことか。

 まず一つは自慢話である。
 次に、すぐに自分の話に持っていくタイプである。
 そして相手の反応など気にせず話し続ける方も大変困る。 

 となると、その正反対が雑談力が高いことにつながる。
 つまり、失敗話であり、他の人の話を聞くタイプであり、聞く人の反応に合わせて話をする、ということなのかと思う。

 その雑誌には、「雑談の理想形」として、三つのことが記されていた。

 「私」の気持ちや情報をオープンに話す
 一人ひとりに合わせて話す
 相手が話したいことを話させる


 こうなると、雑談とはけして雑には語れないしろもので、何だか緊張してしまう。
 楽しくなければ意味ないじゃん!と言って括ってしまいたいが、そこで考えねばならない相手意識の高さが、雑談の上手さを決めていくのではないかと思う。
 おしゃべりと言い換えてもいいが、それにも質があるということは誰でも知っている。

 ブログの中でも雑談に関係することが書いたときがあった。
 改めて読み直してみて、上條晴夫先生の「雑談のネタ化」という発想は納得がいった。
 ↓
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/4b99240304fc847babb0cde9d7d80221