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特別な場を取り戻す

2010年04月26日 | 雑記帳
 予備校は受験のためにある。
 職業高校も特定の職業に向けて有利な能力の育成に励むことは言うまでもない。
 まあ普通高校であっても大学進学率が半分ともなれば、そこで行われることはかなり狙いすまされた内容であることは否めない。

 だからそれらは結局のところ「意図的な人材育成」というように括ってもいいのかもしれない。
 しかし、それが義務教育段階の小・中学校まで拡げていいものか、ということがどうしても頭から離れない。

 県の施策はそういう構えで動いている。高齢化、少子化の進行そして人口減少率の高さにどう対応していくかと突きつけられれば、口を閉ざさざるをえないわけだが…。

 このもどかしさを、内田樹教授なら喝破してくれそうな気がする。

 『総合教育技術』5月号の巻頭の文章に勇気づけられた。

 学校は、いまの社会システムを分析し正面から対峙できる知力をつけるところです。

 社会システムに組み込まれるだけの人では駄目なのだ。かといって、適応できないようなヤワな子や頑な子をイメージしているわけではない。

 自分の力でそこそこ戦えるところまで育ててから送り出す

 ああ、これだ。年齢による違いはあれ、その時点で「そこそこ戦えるところまで育て」ること。これが私たちの仕事である。
 今、肝心なのは振り回されないこと。状況を見据えつつ自立のためにできることを粛々としなければ。
 数値化しやすい、見えやすいものだけに目を奪われず、子どもをしっかりと見据えることだ。

 学校の中に、先生や親が社会で流通している価値観をとりこむのは、だから間違っているんです。
 
 学校は特別な場であることを取り戻さなければ。