すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

伝わってくる感動

2010年06月04日 | 雑記帳
 天候に恵まれて本校4年生以下の遠足が、今日で無事に終了した。

 二つの学年に引率として同行したが、学校から離れたやや非日常的な場面での子どもの生の声を聞くのは実に楽しい。
 今回も笑わせてもらったり、驚かせてもらったり、まあまあ賑やかだった。

 印象に残った言葉の一つとして、こんな一言がある。

 「ああ感動した。でも眠たかった。」
 
 プラネタリウムを使ったミニ劇場を観終わったあとの2年生の女の子の声である。

 建前的なことばと本音の組み合わせ、その落差がおっと言わせる。
 これが「面白かったよ、でも少し眠くなったよ」程度であれば、素直な感想としか思わないのだろうが、「感動」という大げさな言葉遣いに、現代っ子らしい雰囲気を見る。

 そういうふうに使って言葉を覚えていくのだろうが、言葉の先走りが実際の中味を薄めていくような気がするのは私だけだろうか。もはや感動という言葉は陳腐なものとなってしまったのかもしれない。

 では、感動はどんな言葉によって表されるというのだろう。

 3年生の遠足のバスの中である。
 内陸部に住む子どもたちにとって、海は間違いなく一つの憧れである。その憧れが強く表される時は、まず車中から海が初めて見えたときだろう。

 国道7号線が海に近づき少し高い場所へ向かっていくとき「もうすぐかなあ」などとつぶやいていると、かすかに見えた水平線に目を大きくして、一人の男の子は叫んだ。

 「うみうみうみうみうみうみうみっ」
 
 そこには、様子や大きさや色、そして気持ちを表す単語は一つもないのだけれど、見事に伝わってくるなあと感じさせられた。