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声域に魅力があるということ

2010年06月25日 | 読書
 一方的な女の話を聞きながら、その不思議な声に聞き惚れていた。声質というよりも、その声域に魅力があった。
  
 吉田修一著『パーク・ライフ』(文春文庫)にある文章である。

 「声域に魅力がある」という表現は、どのようなことを指すのか。
 ふつうの意味で声域を考えると、「声域の広さに魅力がある」ということになるのか。
  http://www.bvt.co.jp/za20.htm
 しかし、この場面では別に女が歌っているわけでもなく、単に会話(というよりやや一方的な話)をしているに過ぎないのだが。

 そういう場合に、声域を感ずることが普通あるだろうか。
 まあ、意識的に声域の広さをアピールしようとして話すことはできる。
 しかしこの場合はそうではなくて女がごく自然に声域の広さを感じさせる、つまり高音から低温を使う話し方をしているということなのだろうか。
 まさか「声域の狭さに魅力がある」ということではないだろうから、文面通りであればそう解釈するしかない。

 それにしてもあまりそういう話し方は聞いたときがないなあ、強弱・緩急をつけた話し方であれば、それは結構聞いているように思うし、魅力的に感じた経験もある…
 声の高低かあ、とふと障害をもっている子がそんな話し方になる時があることを思い出す。感情の起伏が表れるのだろうと推測できる。そうすれば、それは私たちであっても無意識的に行っているかもしれない。

 テンションの高い低いはトーンに表れる。これはそうだろう。
 そうすれば、女の会話の中味は観察したことを言っているが、前半がやや否定的、後半は肯定的ととらえられ、トーンが変化する予想が立つ。

 ただ「魅力がある」と評するまでの声域が表現できるものなのか。結局そこには声質も含めた「口調」が魅力的ということではないのかなあ。

 まあこの作品は芥川賞受賞作なので、口調よりは声域としたほうがなんとなく重み?があるように思えるのは確かですね。