すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

手の感触が記憶になって

2010年06月28日 | 雑記帳
 数年ぶりに、イッセー尾形の一人芝居を観た。

 座席がステージから少し遠いのが残念だったが、その表現の豊かさは相変わらずで十分に堪能できた。
 ちょっと離れていたから気づいたとも言えるが、足の動き一つとっても計算しつくされていた。台詞回しや顔の表情だけで多彩な人間を演じられるわけではなく、そういう意味で「全身性」を改めて確かめたような公演だった。

 さて、今回は終演後にサイン会があるというので、時間もまあまああるし並んでみた。
 十分ぐらい過ぎた頃だったろうか、イッセーの姿が見えた。意外なほどに小柄、平凡であり、人混みで会えばわからないかもしれない、そんな感じである。

 買った本を開いて、中表紙にサインをもらう。
 その後、握手をしたたのだが、その手はどう表したらいいか…少し小さめのサイズ、柔らかくて少しざらついている、そんなふうに言うこともできるが、それでは一面しか伝えられない気がする。

 さまざまな仕草をする手である。
 ウクレレ、ギター、そして今回はチェロまで操った手である。
 想像の中で手の感触が膨らみ、記憶としてよみがえる。

 ちょうど、大崎善生の『ロックンロール』という文庫本を読みおわったところだった。その中にこんな一節がある。

 感触は記憶に似ている。あるいは記憶そのものといえる。
 言葉は記号として残っていくが、感触はその瞬間に記憶になる。それは説明もできなければ、きっと再現することもできないだろう。
 
 そのとおり。何も言うことがなくて当然だ。
 
 ちなみにサインをしてもらった本は、『イッセー尾形とステキな先生たち』という題名である。
 読むのが楽しみである。