すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

同時代感覚を養う人

2010年06月29日 | 読書
 多くも少なくも小説家というものは自らの体験をどこかに織り込むと思われるが、大崎はその意味で自らの出来事を多く入れ込むタイプだと思う。まあ自分がその類を読んでいるだけかもしれないが。 
 ノンフィクションも書いているのでそうなのか、大崎との最初のかかわりが日記連載だったからか、ああ考えてみれば、自分がそう感じる訳は様々ことがあるなあ…

 『ロックンロール』(大崎善生著 角川文庫)

 この小説は、パリで執筆を進める大崎風?作家の若き女性編集者との恋物語である。そんな単純な要約で申し訳ないが、そこに到るプロセスや展開、そして結末、どこを斬っても大崎らしさが覗く。

 らしさとは単純にいってしまえば、動くまでが長い。筋を作る動きまでの待ち時間に、考えていたり見ていたり、飲んでいたりする経過が多く、それが独特のリズムらしきものを感じさせる、とでも言っておこう。
 本文中にある言葉で表現すれば、
 「岩となれ、そして転がるな」を信じている小石のような感じか。

 上質の文章が続く中で、時折言葉が妙にくだけた雰囲気を出したりする箇所があり気になったが、これも一つの大崎色かと考えた。

 ところで、この小説は何の因果か?イッセー尾形の解説である。
 主として取り上げているのは、性行為や性の有り様なのだが、その解説をこんなふうに言い切って締めた。

 彼の同時代感覚は、予言的でもある。
 
 ああ、同時代感覚か。鋭い観察眼が外にも内にも向いていることでしか養われないものだ。
 それはイッセーの舞台も全く同じだな、と感じる。
 だから、惹かれていく。