すぷりんぐぶろぐ

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耳のよい木がわが庭に

2011年03月04日 | 雑記帳
 雛祭。
 耳の日。
 耳から連想する一つの言葉がある。

 耳のよい木

 しばらく前にNHKの短歌番組をずっと見続けたことがあり、その選者の一人だった河野裕子の歌にそんなフレーズがあったことを思い出す。
 河野は、昨夏病に倒れ他界している。質素でありながらどことなく品のある、そんなイメージのある女性だった。

 「耳のよい木」という発想は新鮮さがあったし、それでいて何か日本人であれば共通する感覚ではないか、とそんなことを思う。

 三月に入りまた雪が少しぶり返しているが、小さな芽吹きはもう始まっていることだろう。
 また今年の大雪で多くの木が傷つき、早く癒せる温かさを待っている気がする。

 学校では、お終いの式に向けて練習が始まった。
 全てがうまくいったわけではないが、それでも良き締めくくりを目指して子どもたちの気持ちを一つにするため、教師の声が響いている。

 芽吹きだしている樹木たちは、そんな姿を見聞きしている。
 春が来ていると思う。

 河野は、こんな歌を詠んでいたのだった。

 捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり