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行為の意味を見つける

2011年03月30日 | 雑記帳
 震災の後、連日ACジャパン(旧・公共広告機構)のCMが繰り返し流されている。
 これだけ繰り返されていれば、注目度は上がるだろうと思ったが、やはりそのようである。詩集が売れ始めている。

 こころは誰にも見えないけど、こころづかいは見える
 思いは見えないけど、思いやりは誰にでも見える


 コピーとして秀逸だなあと思うし、まあ平凡な映像ではあるが、その平凡さが嫌味な感じも与えない。

 「宮澤章二」という名前がかすかに見えて、どこかで見かけている、何かで使ったような気がするとは思うのだが、記憶は不確かである。
 それで検索をしてみたのだが、これだというものにはたどり着けないままだ。
 http://acore-omiya.net/?eid=105

 しかし、CMで使われたことばの原作品「行為の意味」を読めたことは収穫だった。いい詩だなあとつくづく思う。
 コピーとしての制約をうけたフレーズとは違う力強さや気高さといったものが感じられる。それは最終連、特に終わりの二行。

 あたたかい心が あたたかい行為になり
 やさしい思いが やさしい行為になるとき
 〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる
 -それは 人が人として生きることだ


 まさに行為の善的な意味。
 宮澤章二は6年前に亡くなっているが、その命日が3月11日と知って、また神妙な気持ちになってしまうのは、私だけではないだろう。