すぷりんぐぶろぐ

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彼岸明けに降る雪を見ながら

2011年03月24日 | 雑記帳
 我が町のホームページに「平成22年度積雪状況」というページがあり、今冬は結構アクセスしていた。
 昨年度との比較をしていて、その差が興味深い。
 昨年はこの彼岸中に0㎝という記録が出ている。けれど今年はまだ1メートルを越す高さである。
 http://www.town.ugo.lg.jp/administration/detail.html?id=1306&category_id=55

 21日に墓参したときも、やはりいつもの年とは雪の高さが違うことは明らかで、ほんの少し顔をのぞかせた程度の墓石の前に、お供えするのはなんだか申し訳ないような感じだ。
 昨年末に他界した叔父の塔婆もまだ半分は埋まっていて、「まだずいぶんあるなや」などとつぶやく声が聞こえてくる気がする。

 それでも手を合わせれば、自分や周囲のことだけでなく、この震災で亡くなられた方のご冥福を祈る気持ちがわき上がり、長く佇んでしまった。
 予想できたこととはいえ、夥しい死亡者の数に火葬さえままならない状況が出てきていると新聞で見た。遺族の心の痛みはどれほどのものだろうか。

 私たちが住む地域では学校が春休みになっても雪は降り続き、雪消えも思うにならない。部活動関係の保護者はグラウンドの排雪をしたいが、押し寄せられた量的な多さ、そして器機の燃料不足という両面からなかなか手を出さないでいるようだ。
 きっと新年度の行事予定にも大きく影響が出ることだろう。

 しかし、それでも残った雪が消えないということはない。
 時期が遅れたとしてもきっと黒い土が顔を出した時は、私たちはその解放感に心浮き立つだろう。
 
 そう考えると、あの地震、津波がもたらした現実というのは、あまりにつらいものだな、と思いはまたそちらへ向かう。。
 瓦礫が片づけられ、整備が始まり、痕跡が残らぬように復興がなったとしても、きっと心に降り積もった氷のような悲しみが全て溶けてしまうことはなく、様々な形で欠片を残すに違いない。

 せめてその地に温かい陽の差す日が多いことを願う。
 この地に今もちらちらと降る雪など、本当に何ほどのものかと思う。
 まあそう書きながらも、土が恋しくなっている気持ちが湧き上がってくることは止められない。