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地震が起きた日

2011年03月13日 | 雑記帳
 パソコンに向かって、学校ブログにその日の卒業バイキング給食の様子を書いているときでした。
  http://miwasho.blog68.fc2.com/blog-date-20110311.html

 胸ポケットに入れてある携帯電話が、聞いたことのない音を出して鳴り始めました。
 取り出して画面をみると、「宮城県沖地震」という文字がくっきり見えます。
 えっ、何と思いました。
 すぐに立ち上がり隣の職員室へ向かうと、職員の机の上にあるらしい携帯電話からも同じ音が鳴っているようです。「地震」と口にした直後に少しずつ揺れ始めました。横揺れです。

 職員室の中には、数人の職員と四年生の女の子が二人いました。
 揺れが続く中でしたが、教頭先生が校内放送で指示を出します。
 女の子たちの声が徐々に大きくなりますが、しゃがんでいるように、大丈夫だと声をかけます。
 なかなか横揺れが止まりません。一昨日のドック入院中にも長い地震がありましたが、それとは比べ物になりません。
 悲鳴めいた声も聞こえてきました。

 揺れがおさまり避難指示を出すことになりますが、すぐに停電となり、緊急放送もできません。
 ハンドマイクをとって、階段の下から上に向かって、避難開始を叫びます。外は雪がちらついているので、外套を持ってでるように付け加えました。
 校庭にはまだ二メートル程度の積雪があり、とても入っていけないのですが、できるだけ建物から離れて整列するように指示しました。あまり滞ることなく全員の安全確認ができました。

 すぐに情報収集しようと考えました。
 学校のラジカセの電池は古いようで、その交換に少し手間取っているようです。自分の車に、手回し充電のあるラジオがあることを思い出し取りに走りました。
 低学年の下校時刻がせまっていたので、保護者の方々が数人車で駆けつけてきました。
 三陸沖が震源、ずいぶんと大きい、津波の警報が出ていることなど確かめ、いったん校内に入れようとすると、余震があります。
 やむなく少し待ったのですが、湿った雪が降り続く状態には置かれないと判断し、校内に入りこの後の指示を待つ形としました。

 とりあえず人的被害も大きな物的被害もありません。
 連絡手段がないので、巡回してきた教委職員にその点を伝えました。
 ただ、細かい余震は続いていて、子どもたちがいるなかで職員集合をかけることもできないままでした。時間はかかりましたが、それぞれに今後の下校や待機について連絡して体制を整えます。
 集団下校できる子、個別に迎えがある子、帰宅しても誰もいない子と様々です。職員も分担して見回りや待機をしました。
 停電が続いており、水道も細くなっています。当然暖房もきかないままです。放課後の学童教室も校内に設置されており、結局全児童帰宅は六時少し前となりました。
 その後教育委員会に出向き、今後の確認をして学校へもどり、残っている職員とこれ以降の打ち合わせをして、帰宅することに…。

 交通信号も止まって、もちろん停電も復旧しません。
 結局、自宅も学校も12日夜つまり約30時間後に復旧となるのですが…隣県などの悲惨な状況をラジオで聴きながら、かつてないほど闇が続く中で、いろいろ考えたこともありました。この後、メモしておこうと思っています。

 ただ、昨夜見ることができるようになったテレビに映された光景は、何をどう考えればいいかと思わせるほどでした。
 多くの方々のご冥福と、いち早い復旧を祈ります。