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教師・賢治の輝き

2011年03月18日 | 読書
 一週間前に読んだ本。地面と海面が大きく揺れる前日にメモしておいたものだ。

 『教師 宮沢賢治のしごと』(畑山 博  小学館)

 芥川賞作家が教え子たちへの取材、証言を基に書き上げた。80年代の名著といってもいい本だろう。
 たしかこの本を基にドラマなども作られたのではなかったかと記憶している。

 教師としての宮沢賢治をどう評価していいか…これはどういう視点で賢治をとらえるか、賢治に何を感じて向かっているかによるのだと思う。賢治を研究する方々が他にどんなことを書いているのかも興味が湧く。今まであまり印象的なものには出会っていない。

 さて、本書のなかで文句なく「ええっ、凄い」と感じたのは、次の箇所。長坂俊雄という教え子の言である。

 農業実習のあと、生徒たちを二組に分けて、ディスカッションさせることもよくありましたよ。あるときのは、「春を好む者」と「秋を好む者」に分けてやりましたよ。・・・(略)・・・・
 ときには好まない者が好む組に回されたりします。


 単なる二組に分けたディスカッションでなく立場を替えて行ったりしていた、という教え子の言葉から想像される学習はまさにディベートそのものである。
 大正時代の東北で行われていたことに何か感動すら覚える。
 当時の高等教育における教授手法の中にディベートがあったのかどうか調べもしないで断言はできないが、まさに賢治ならではの場の設定のように思う。思考、発想の広がりを求める声が聞こえるようだ。

 「再現 代数の授業」の章における進め方は、「活用」「活用」と叫ばれている現在の教育風潮を皮肉っているのではないかと思えるほどだ。(もちろんこの本の発刊された頃には考えられなかったことだが)。

 そこで賢治は、生徒が登校に要する平均速度を扱っている。
 単に「かかった時間」を「距離」で割るのではなく、一日一日の自分の登校の様子や状態を降り返らせ、いくつもの計算式を書かせる作業を通してから抽象化に持っていくのである。
 著者はこう書く。

 一見無味乾燥に見える 分子/分母 という式にも、実はそんな「心」の軌跡があるのだということを、賢治は教えたいのである。

 学問はかくあるべしという一つの姿を見る思いがした。

 賢治という才能は、所詮教員という枠の中に納まりきれるものではなかったと思われる。しかし、その五年間の輝きが生涯のなかでもかなり貴重であり清々しさを感じるのは、けして私だけではないだろう