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問いをくり返してみる

2011年03月25日 | 雑記帳
 自然との関係を感じとったとき、私たちは自然の現実を知り、その自然との結びつきのなかにある人間の現実を知る。

 ふだんならば読み過ごすような一節であっても、今の心には重く響く。哲学者内山節の文章である。

 今、目の前にある現実をどうとらえるのか。これは単なる不便さや不安さを越えて、問いかけなければならないように思う。

 先日、「現実はそこにあると同時に、つくりだすものである」などと少し気取った文章を書きつけた。それを内山が語る言葉に置き換えると、こうなるだろう。

 現実とは双方向性のなかにあるのだろう。人間たちの働きかけが、気づかなかった現実を発見させる。さまざまな現実からの働きかけが、それらをとらえようとする人間たちを生成する。

 こうしている間にも避難している人たちの現実はつくりだされている。まだなお余震が続くなかで、原発倒壊による不安のなかで、行き届かない物資にいらだつなかで…。
 生命の危険を感じているなかでは、現実への対応をどうするかが全てであることは確かだろう。しかし、そこから離れた場所にいる者は、その距離に応じて、もう一つの視点を持たねばならない。

 一方で現実的な対応を考えながら、他方で根本的な問いをくり返す。

 二つの調和は無理かもしれないし、矛盾に突き当たるだろう。しかしなお、それでも必要なことだ。
 実は壊れかかってきている人間社会ということを私たちは感じ始めていながら、目を背けたり、身を任せたりしていた。
 もうやっていけないのではないかと思いつつ、根本に返って考え直してみることをためらっていた。

 国家レベルの大きな問題から職場や家族の問題まで、仮にそれぞれが三つほどの問いをくり返し、それによる行動が始まれば社会はかなり変化するのではないか、と思いつきのようではあるが実効性があると信じたい考えが浮かんでいる。