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遠くから聴いていたユーミン

2011年03月09日 | 雑記帳
 例の芥川賞作品の載っている月刊誌をめくっていたら、「時代を創った女①」という新連載のページがあり、松任谷由実が取り上げられていた。

 ファンというほどではないが、暇を持て余していた学生時代に聴きこんだアルバムとして『MISSLIM』それに『ひこうき雲』を外すことはできない。
 今ではさほどでもないのだろうか、80年代からユーミンのコンサートはプレミアムチケットで、地方にいる者が手に入れるのはなかなか困難だったし、お目にかかれる存在ではなかった。

 しかし(軽い自慢だが)私はユーミンを見たことがある。

 あれはたしか、1974年、秋。(なんとベタな書きだしだ)
 仙台市内の某大学祭のゲストとして登場したのが荒井由実である。黒い衣装に、黒い大きな帽子の印象がある。体育館のような場所で、ピアノの弾き語りをした。
 高校時代からコンビ(デュオと言わないところが時代だ)を組んでいた友人があまりに強く薦めるので、何の気なしについていったのだが出会いとなった。

 これは今までにない「音楽」だと感じた。拓郎や陽水、かぐや姫…当時の売れっ子フォークとは全然香りの違うものだった。大学に入り立ての自分にとって、それはもしかしたら「都会」という響きそのものだったかもしれない。ギターのコードがそれまでと違うことが一つのショックでもあった。

 「海を見ていた午後」「空と海の輝きに向けて」「ベルベット・イースター」…恥ずかしながら自分の曲作りも影響を受け(真似したと言いなさい)、女性ボーカルを配したバンドまで作ったではないか。

 月刊誌の記事には、ユーミンの先の二作は売れ行きが低調だったと記されている。それはきっとその後の爆発的な売れ行きと比してだと思う。あの二作は当時の若者には衝撃だったはずですよ。
 細かい経緯はあるもの、その後の80~90年代、まさに時代を席巻した感のあるユーミンは一貫して都会の音楽であったし、その頃はもう地元へ帰った自分も多少は聞いたが、やはりあの二作で止まってしまったんだなと降り返ることができる。

 そう言えば、まだ70年代だった頃「いちご白書をもう一度」というバンバンに提供したヒット曲があって、これをどこかの女子大コンサートに招かれゲストで唄ったのが唯一のユーミンソングレパートリーだった、という今となっては気恥ずかしいようなことも思い出してしまう。いかにも田舎者が流行りに染まって傍から見たら滑稽としか思えない話だ。
 その「いちご白書」で結局ユーミン熱も醒めたのかなという気もする。
 ♪就職が決まって…象徴的だ。やはり、いつまでも遠い存在なのだなと思う。

 記事を読んで一つ面白かったのが、コンサートで最も人気の高い曲が「DESTINY」だということ。これは確か79年あたりではないかと思う。これは本当にいい曲で、好きだなあ。ベスト3には入る。
 松任谷正隆氏によると「今日に限ってどうして安いサンダルを履いてきちゃったんだろうという間の悪さ」を表現していて、それは「普遍的感情」なのだという。その通りだね。あの切なさは。

 その意味で、時代を創る人に共通する感覚、資質がそこにあるかもしれない。
 またしても遠い。