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『海の壁』を読む

2011年05月08日 | 読書
 この文庫が売れていると新聞で見たような気がする。いきつけの書店に置いてあったので手にとってみた。

 『三陸海岸大津波』(吉村昭 文春文庫)

 「記録文学」というジャンルにはあまり馴染みはない。しかしノンフィクションそのものは結構好きなので、抵抗なく読み進められた。
 というより引き込まれるように読み入った。
 それはきっと繰り返し観てきた映像と重なっているから鮮烈に感じる部分が大きいのだろう。

その規模の大きさから当然ページが多く割かれている明治29年、昭和8年の記録は、当時の社会状況や未発達な交通、通信状況と相まって、きっとその悲惨さは想像を絶する光景であろうことをやや抑えた表現で感じさせてくれる。

 最終章では、明治29年、昭和8年、昭和35年の津波における死者数と流失家屋をデータとして提示し、その減少について言及している。
 また田老町における津波対策、訓練の徹底ぶりなど、細かに記している。

 そして、明治29年の大津波から四度の津波を体験した早野という老人の言葉を、締めくくりに近いページに置いた。

 早野氏は、言った。
 「津波は、時世が変わってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う。」

 
 むろん著者は、自然と対峙しながら悲しい歴史を乗り越えて立ち上がる人々の強さを描きたかったのだと思う。

 しかし、この老人の一言は、あっけなく覆されてしまった。
 その事実はとてつもなく重い。
 人がどんなに知識と行動を駆使して立ち向かおうと、お構いなしに襲ってくる自然という脅威。

 またそれだけに、「できない」と断言されても、予知は不可能なのかという考えが頭をもたげる。
 この本には「前兆」と記されている内容があり、明治、昭和の大津波以前の自然現象の一致についても書かれている。素人目にはそれだったら…という思いが残るが、データとしてどれほどの重みがあるのか判断できないということなのか。

 この本は文庫化にあたって、著者が「少し気取りすぎていると反省し」改題したのだという。1990年頃、最初に単行本で出版されたときの題は、「海の壁」だったという。
 気取りも何もあったものではない。まさしく「壁」に直面している今ではないか。