すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

聴衆の前に立つ前提

2011年05月22日 | 雑記帳
 とある絵本作家の講演会を聴きにいった。

 自分が書いた紙芝居や絵本などを読み聞かせながら、後半に差し掛かった頃、興味深いことを話された。

 作家が絵本を読むわけ

 詩人が自ら作った詩を読んだり、絵本作家が自分の作品を読み聞かせたりする会、イベントがよく催されているようだ。
 残念ながら地方にいるとそんな機会はめったにないのだが、テレビなどでもそんな番組があり、見たこともあった。 

 今まであまり深く考えはしなかったが、作った本人が読むことによって、より味わいの深い表現があるのかな、という程度だった。
 その作家は、小学校での読み聞かせを例に、こんなふうに語った。

 対象となる子どもたちと触れ合いたい

 対象というのはつまり読者という意味だろう。
 昔、自分の子どもと遊んだり触れ合ったりしたことが創作のきっかけとなったということも話されていたので、その意味ではやや懐古的とも受け取れるし、一種のリサーチとも考えられよう。

 その作家の読み聞かせがどうだったかはともかく、紙芝居や絵本を読むテクニックは、プロや熟練者の方が圧倒的に高いだろう。
 だから、当然「かく」という表現に留めておき、「あらわす」という表現は別の人に任せるべき、という考えも成り立つ。

 しかし、その点を踏まえてなお、作家に自作を読む価値を考えるとすれば、その筋や言葉、絵や色を必ず楽しんでいるはずである、(もちろん「楽しむ」だけではないだろう)という点にあろうか。

 その心を持って聴衆の前に立つということが実は一番肝心で、その前提が作家には100%備わっている…それが、どうにも揺るがない強みである。
 その強みをもってコミュニケーションを図ろうという意欲があれば、きっと聴衆は惹きつけられる。