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希望をもつために何かを続ける

2011年05月18日 | 読書
 「被災地で子どもが書いた作文」という言葉に惹かれて、また文藝春秋誌を買った。

 お目当ての記事の冒頭に「東六郷小」という校名が登場して少し驚いた。
 震災以来心の隅にその名前はあったのだが、これは大学4年次に教育実習をした学校だった。思い出が多いわけではないが、確かにその場所で教えた記憶は残っている。
 子どもたちの作文はどれも淡々とその事実が綴られており、それゆえにまた重さが伝わってくると感じた。

 それとは別稿だが、玄田有史という方が「希望学プロジェクト・釜石の火は消えない」という文章を書かれている。
 他誌でもその名前は見かけたことがある。そのときにはあまり気にとめなかったが、「希望学」とはなかなか面白い考えだなあと思った。

 調査をして頻繁に通った釜石の方々との交流もさることながら、希望とは何かという学問的な説明も興味をひいた。

 希望学では希望(Hope)を A Wish for Something to Come
True by Action と考えた。希望は「気持ち(wish)」「何か(something)」「実現(come true)」「行動(action)」の四本柱から成り立つ。


 そして氏は、こんなふうに続ける。

 過酷過ぎる状況では、最初から途方もない希望を持つのは控えるほうがいい。

 うなずける。
 比べようもない安穏とした日常であっても、時に訪れるしんどい状況のときに、気持ちや望みを強く持つよりは、目の前の何かに焦点を定めて実現するように淡々と行動する。
 その行動の繰り返しによって、希望が見えてくる場合がある。
 いや、もともと気持ちは確かに存在するのだから、その存在が大きく強くなっていくとでも言えばよいか。

 まずは「何か」を設定することから始まる。
 その何かとはきっと、いつでも目の前の些細なことである場合が多い。