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面倒くさい奴の力

2011年05月03日 | 雑記帳
 もう10日以上過ぎてしまったが、書き留めておきたい感想がある。

 尾崎豊を取り上げたドラマのことである。

 冬にドキュメンタリーが放送された時にドラマの予告があった。
それを聞いて真っ先に尾崎役をどんな俳優がやるのか興味がわいた。少し知っている人なら、誰しもそうではないだろうか。

 成宮寛貴と聞いて「へへえそんなもんか」と思ったが、娘たちが「ああ少し似ているかも」と言うのでちょっと注目していた。
 そして劇中の歌唱を全部自分でこなすという。それは驚きだ。はたして、どうなることやら。

  http://www.tv-tokyo.co.jp/ozaki_drama/

 期待を持ってBSの放送を待った。(なんせテレビ東京の地上波は届かないものだから)

 見始めたら、成宮君なかなかいい雰囲気出しているじゃないか、歌声もかなり似ているし、これは案外いいかもと感じたが、だんだんとどこか嘘っぽいような気持ちがわき上がっていることに気づく。

 そしてそれは、幾度となく挿入される歌唱場面の度に大きくなっているのだ。

 ああこれでは…と思う。表情などを結構うまくとらえていても、歌声の質が似通っていても、あの「力」が圧倒的に違うのだ。

 そして、あの「力」…「声の力」こそが尾崎豊なのだと、今さらながらに強く感じる。
 カラオケで一曲ぐらい感傷に浸るのならそれはいいかもしれないが、やはり連続でそれを行うというのは、ちょっと無謀だったのではないか…そんな気がする。
 末期の名曲であろう「太陽の破片」などには、さすがに手を出さなかった?のは懸命と言うべきか。

 「伝説」という形容で語られる尾崎豊は、今の若者には受け入れにくいだろう。
 流行言葉風に言うならば、「上から目線」で語るMC、仕事上で関わりをもつ人にとってはとんでもなく「面倒くさい」奴だったに違いない。

 しかし、その面倒くささこそが、あの声の力に結びついていることを今さらながらに気づいた。
 その意味では貴重なドラマとも言える。