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悲しい連鎖の記事

2011年05月20日 | 雑記帳
 今朝の新聞記事は、ちょいと悲しかった。

 「募金しない生徒名掲示」と題されたその記事は、県北にある中学校のことだ。
 生徒会が自主的に企画した震災の義援金について、全生徒の協力を目標に一人200円以上で任意で募った。学校も通信で呼びかけて協力したとある。
 そして、ある担任二人が締め切りが近づいた頃、募金していない生徒の名前を書いた紙を黒板に張り、掲示後に募金した生徒の名前にチェックを入れた。
それを知った保護者から苦情があり、その掲示が外されたという顛末である。

 もちろん、金銭が絡むことに関してこういう手立てをとった担任は責められる。配慮を欠いていることは認めざるを得ない。

 ただ個人的には、それ以上に、なんだか悲しいという気分が残る。

 私たちの中に蔓延している「募金」という名の強制。「任意」という名の決定。
 全員が足並みを揃えることの大切さは認めていても、その内容や手段について検討したりする余裕もない現実。

 そしておそらくは、何かしらの理由を抱えている人たちから苦情がでていること。もしくは、単なるルーズさの詭弁としての苦情。
 苦情がどのような経緯で新聞記事になるのか、ということ。

 悲しい気分に浸っているのではなく、それらを打開する術を出してみろと自分に言いたい気持ちもあるが、とてつもなく強大な現実だ。

 しかし、生徒はそこから何を学ぶか。

 見方によっては凄い「教材」だなと思ったら、悲しみは少し和らいだ。