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言い古された用語を磨いてみる

2011年05月12日 | 教育ノート
 私がレクチャーする職員研修の第二弾は「学習形態の工夫」。
 今年度の研究主題サブテーマに取り上げたものだ。運動会間近で余裕がない毎日だったが、40分ほど時間をもらってごくごく基礎的なことを説明した。

 といっても自分なりの事前学習が必要なことは言うまでもない。
 二冊の古い辞典類のページをめくってみた。

 『現代授業研究大辞典』(吉本均編  明治図書)

 『授業研究用語辞典』(横須賀薫編  教育出版)


 87年、90年の出版であるが、今新たに紐解いてみるとなかなか興味深く思える箇所もあった。

 まあ普通に考えればそうに違いないことでも、ずっと現場の教員思考?で暮らしていると考えが固くなっていた事柄はずいぶんあるだろう。
 例えば…

 学習形態とは広義と狭義に分かれる。広義には活動内容、学習過程や方法まで含む幅広い方式を表すし、狭義では学習者編成ととらえられる。

 個別指導といったときは「個別に指導する」という狭い意味での使用が普通になっているが、実は「個別に学習を成立させる指導」という指導原理が基にある。

 一斉指導の最初の関心は教授の経済性、効率性であった。しかしその形態の個人授業にはない優れた面が注目されるようになり、そして今は・・・・・・・


 学習形態のような言い古された?用語であっても、突き詰めて考えていけば、学習とは何か、授業とは何か、という問いに収束していく。
 効果的で質の高い学習をどうやって保障するか…「形態」は方法でもあるし、技能や力そのものでもあるような気がする。
 授業者はそこに意識的でありたい。

 例えば一般的によく使われるグループ学習のメリットとされる能力や姿勢~当事者性、実感に基づく表現力、自立性など~はどういう場面、段階で取り入れれば効果的か。それによってスタイルも変わってくるだろう。

 教育課程編成には一定の関心を持ち続けてきた。内容面が強調されるのは当然だが、もう少し形態も含めた形式にも踏み込んでよくないかとそんなことも思う。

 いずれ目の前の課題は「学習形態の工夫」である。
 とりあえず個々の教師の授業改善に資するという点で言えば、「学習形態の設定と変化・転換」か「個別の学習形態の重点化」のどちらか、または折衷的な推進になるだろうと提示した。
 少し息の長い研修を進めていい内容だと考えている。