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場とは戦場のことである

2011年05月27日 | 雑記帳
 思いつきとは言えないのだが、思いつきのようにぱっと浮かんでぱっと経営計画に載せてみた(まあ、いつものことなのかもしれない)言葉が「場の意識」ということ。
 例示的に説明したことは「場の継続・場の変化・場の拡大・場に応じた評価」という四点だった。

 新年度二カ月経過を前に、このことについて改めて掘り下げて考え、今後の実践に反映させていかねばならないだろう。
 そのための学習メモである。

 まず「場」とは何か。
 学校現場でよくつかわれる「場」とは、意味の上では「学習場面」がふさわしいだろう。

 そのことを踏まえて、改めて「場」の語義などを調べてみる。

【場】~広辞苑より~
 ①物事の行われる広いところ。場所
 ②物事の行われる時機、局面。ばあい。
 ③特に、戦場をいう。
 ④演劇で、ある幕のうち、舞台装置の変換が行われず、同じ場面で終始し一区切りとなる部分。
 ⑤取引所内の売買取引をなす場所
 ⑥空間の各点ごとにある物理量Aが与えられている時、Aの場が存在するといい、Aを場の量という。
 ⑦心的過程や社会現象の生起する状況を全体構造としてとらえ、動的な過程としてそれを記述または説明するための用語


 ふだん使っている言葉でも改めて書きだしてみると興味深いものだ。①②が一般的だが、⑥⑦という学術的な用語の意味も実に面白い。
 また明鏡の国語辞典で、①として「あいている所。物などを置く所」という説明も考えさせられる。

 さて、授業における「場の意識」を考えていくと、当然、空間的な場、時間的な場の両面が必要になる。
 それはまず、ありがちな言葉であるが「場の設定」で括られるわけだが、もう少し砕けば「学習のねらいにふさわしい場になっているか」と言ってもいい。

 先に挙げた四つの例示以前に、その点が何より問われなければならない。改めてその点を思う。
 つまり、本単元、本時の学習の「場」は、空間としてふさわしいのか…これは場所はもちろん、学習者の編成、学習スタイルに大きく関わりあってくる。
 時間的な場が保障されているか、もしくは大きな見通しのなかで制限される意図が明確か。単元計画、指導過程と結びつく点である。

 さらに言えば、「教師の場」の意識。
 教師の立ち位置…物理的にも、精神的にも。大きな枠組みの中でも、具体的な一時間においても。
 時間的にとらえること。単元、授業内の活動配分という意味だけではなくて、教科学習の流れ、学級集団の育ち、個々の成長の中でどんなふうに、学びを位置づけられるか…。

 キーワードとしての「場」は、ひとまず場所であり局面であり動的過程であると言い換えられるだろうか。

 そういえば、「戦場」という意味もあったな。