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ど忘れにしつこくつきあえ

2011年05月11日 | 読書
 一時ほどのブームではないが、「脳」に関する本は依然として多く出版されているようだ。
 自分でもブームに乗って結構読んだ気はする。しかし数年前のベストセラーだったこの2冊の新書はまだだったので、先週続けて読んでみた。

 『脳が冴える15の習慣』(築山節 NHK出版)

 『ひらめき脳』(茂木健一郎 新潮新書)



 築山氏の名前は雑誌等でよく見かけていたが、書籍は初めてである。
 脳の専門医としての臨床経験から導きだされた例は面白く、日常生活の中にいくつも脳の力を高めることがあると気づく。

 特に「前頭葉の体力」という言葉で、雑用の大事さ、面倒くさいことを嫌がらず行う意味を強調していた。「思考の整理は物の整理に表れる」という私にとってとても痛い言葉もあったし、全体的には私の脳が責められ続けた?内容だった。

 しかし、「ダメな自分を見せる場面」の重要さの指摘もあったので、これには少し救われる。もちろん、そういう場面の連続を奨励しているわけではないのだが、リズムを大切にしながらも新たな刺激を求めるという舵とりが、脳は喜ぶということだなと解釈した。


 茂木氏の著は、彼が「アハ!体験」を言いだした頃のもので、そういえばその当時勤めていた学校で、六年生に算数を教えていた時に「アハ」で盛りあがったなあということを思い出した。
 「ひらめき」がこの本のテーマで、どんなふうにしたらそういう脳の使い方ができるかを論じたものである。

 私にとって興味深かったのは「教師あり学習」と「教師なし学習」を比較する箇所で、これは単に学習形態を指しているわけではなかった。

 記憶におけるトップダウンとボトムアップという言い方で、答を導きだすまでの脳の活動を比べている。論理性と創造性という比較もできるし、時に着目すればファーストとスローということになる。
 定められた枠の中で、非効率性を排除して学校教育は成り立つが、「ひらめき」を求めるのなら、そうしたスローラーニングの場も考えねばならない。

 もちろん一律的な形ではなく「教師あり学習」によって蓄えられ知識、鍛えられた神経が、「教師なし学習」で生きるという形ではないかと単純に考える。

 さて、しょっちゅう「ど忘れ」する自分であるが、その時脳の中では何かの手がかりを探しながら必死で活動しているという。
 その過程で思い出されれば、それはいわゆる「ひらめき」に近いメカニズムがあるとされているらしい。

 とすれば、加齢によって、そのど忘れにしつこく付き合えれば、ひらめき脳は高まっていくはず…という夢のような結論を一人で出してみた。