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県民性の持つ毒と薬

2011年05月29日 | 読書
 気軽に楽しく観ていたテレビのバラエティ「秘密のケンミンSHOW」も、確かに一皮むけばそんな心理が潜んでいるんだなと、この一文を読んで納得してしまった。

 特定地域集団に対する蔑視的な語り方が執拗に繰り返されている。

 まあそれほど堅苦しく考えることはあるまいと思ってはいても、これが「政治的」な色合いを帯びれば、笑い事ではない。
 従って次の言葉はかなり、真剣に受け止めねばならない気がする。

 「県民性」をめぐる言説がもちうる「毒」と、その「毒」に根拠を与える「(擬似)論理」に、注意を払う必要がある


 どちらも『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か?』(日高水穂 無明舎出版)からの引用である。
 著者が地方紙に連載していた記事を読む機会が多かったし、方言そのものにも興味があるので、手にとってみた。

 著者言うところの、「『よそ者』の視点から見えた秋田の人と風土」が結構シビアな形で並べられている。

 〈ええふりこぎ〉とは「見栄っ張り」のこと。いつの頃からか、秋田県人の多くは自らの県民性の一つとして〈ええふりこぎ〉という言葉を使うようになった。自分も何だか簡単に言ってきた。
 しかし、著者らによる調査によれば、他県人の印象はそうでもないらしい。
 このギャップを巡ること、そしてこの言葉を一つの手がかりに行政側があるプロジェクトを打ち出した(現に我が県はそんなことをしたのだから)ことに対する論考が面白い。

 県民性であれ、血液型であれ、そうした本が売れたり、番組が作られたりする背景には、所属感を持ち安住?したいという気持ちがある。それは自分も人一倍そうだからわかる。

 そんなことにとらわれない自由さにも憧れながら、県民性という言葉がまかり通り、そこに何か「薬」になる要素もあるのなら、それを使ってみませんか、という発想をしてもいい。

 もちろん、「毒」と「薬」は紙一重なのだろうけれど。