すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

直感を重ねることによって

2011年07月30日 | 読書
 これは確かに読ませる小説だった。
 ベストセラーになったというが、残念ながら題名も知らなかった。

 『水曜の朝、午前三時』(蓮見圭一 新潮文庫)

 この作者が秋田県出身で地元の新聞で連載していたことは知っていて、時々目にしていた。ただそんなに興味があったわけでなく過ごしていたが、あの俳優児玉清の死去がきっかけとなった。
 読書家としてつとに知られる児玉清が絶賛した小説…なんでもCMに利用される世の中で、そのことがどの程度信憑性があるのかわからないが、BSのブックレビューなどを見る限り、ううんいいんだろうなあと、夏休みの皮切りの軽い読書として手にとってみた。

 いわゆる恋愛小説という範疇になるのだろう。自分にしては珍しくぐうんと惹きこまれる。
 四条直美という主人公が娘に充てた回顧テープを書き起こした形をとっているこの話は、構成も巧みであり、設定や筋立てにも工夫があり実に飽きさせない。
 主人公の年齢が昭和22年生まれであり、主たる舞台が大阪万博という点で、世代的には違うが雰囲気は十分わかるし、数々登場するロックシンガーの名前も承知している。
 
 もしかしたら、若い当時に一種の憧れを抱いた世代であることも影響しているのかもしれない。
 作者は私よりほんの少し年下ではあるが、出版社に勤めていたというキャリアもあり、その時代の余熱を感じとるに相応しい場を経験してきたに違いないと想像した。
 
 読了後に、一つ問いを立ててみた。

 奔放な人とは何を身につけているか?

 主人公はある部分で奔放な生きかたを具現してみせている。それは何を大切にしたからそうなったのか、考えてみた。

 直感だろうか、と思った。
 そして、それを重ねていくことによって、直観になるのではないか。そんなふうに思えてきた。

 主人公が人生の問題に直面した時代は、古さや固さが残っていた時代だがある意味ではわかりやすく、自分の生きかたを選択できたかもしれない。
 不透明な時代だからこそもっと直感に頼るべきだろう…手遅れな考えも浮かんでくる。