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小さなギャップで鍛えておく

2011年07月03日 | 雑記帳
 秋田大学の阿部昇教授の講演会があった。

 「小中連携」をテーマにした内容で、鍵は授業力向上にあり、共同研究の重要性を説くものだった。 

 前段のお話の中で、なるほどと思った一言がある。

 ギャップがあるからこそ大人になれる

 「中1ギャップ」…この言葉は課題的なとらえ方であり、否定的と言ってもいい。
 しかし、ある意味でギャップは当然であり、それこそが飛躍のための踏み台になる。これは人の一生の様々なステージに言えることなのだと思う。
 もちろん、だからそのままで…という展開にはならず、小中連携というテーマにあわせ、次のような言葉も準備されていた。

 ギャップがあるからこそ、連続性が必要だ

 ところで、少しそのことを考えていたら、あることに気づいた。

 小1プロブレムと中1ギャップ

 プロブレムは「問題・課題」、そしてギャップは「割れ目、隔たり」。
 なかなかよい?表し方だなと思う。

 そう名づけた主体は教育する側に違いないが、実は「プロブレム」であればそのままの強い印象があり、「ギャップ」であれば教育をうける側としてとらえた方がしっくりするような気もする。

 そこで、大胆に言えば、プロブレム解決は大人だけで行ってもよし、ギャップ解決は最終的に生徒自身が行う、などと括ってもよくないか。

 中1ギャップに向かわせる小学校教員としては、割れ目を意識させ、どん底まで落ちないような、足を滑らせてもそこから這い上がってくるような、そんなイメージで指導にあたるべきか。

 つまり、ギャップによって成長できる力を養わなければならない。
 いたるところに小さなギャップを作っておくという意識が必要だな、とそんなことを思う。