すぷりんぐぶろぐ

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続・大人になっても忘れたくない

2011年07月07日 | 雑記帳
 先週書いた「大人になっても忘れたくない」という表現が、まだどうも小骨のように引っかかっている。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/57f9d6e35dc1adc882121a8b8ff992b8

 「忘れたくない」…何が不満かというと、「忘れる」と「したくない」の組み合わせだ。

 「したくない」は意志・決断を表すのだから、自覚的いや能動的な行為、例えば「食べる」「走る」「打つ」等々であれば、何の問題もない。
 「食べたくない」「走りたくない」「打ちたくない」等々。

 しかし、「忘れる」というような能動的とはいえない動詞の場合はどうなのか。忘れようとして忘れることもあるだろうが、人は黙っていても忘れる者である。その自然な行為!をくい止める表現が「忘れたくない」のだろうか。

 他に類似した動詞はあるか。

 「眠る」…「眠りたくない」…これは違和感がない。
 「死ぬ」…「死にたくない」…これも…あっ、あっと思う。
 この二つは無理なことなのだ。
 同じように考えれば「忘れたくない」も突き詰めればかなり無理なことに違いない。

 ただし限定があれば生き生きとする。

 「明日の夜までは忘れたくない」
 「自分の国へ帰っても忘れたくない」

 のように。
 「大人」の範囲は曖昧だが、まあ「長い時が経っても」と受け取ろう。

 つまりは、所詮無理な行為を、時間を限定したような表現をすることによって、可能にさせる強い意志をもった言葉が「大人になっても忘れたくない」ということだ。

 しばし待て。
 「なっても」という表現に少し感情が感じられないか。
 本当はなりたくないのになってしまった、仕方のないことだけれどみんなそうなんだよ、あきらめなさい…といったニュアンスを感じるのは私だけか。

 とすれば、相当深いぞこの表現は。
 「大人になるまで覚えておこう」なんていう能天気な考えを、そのまま直接に表現しているわけではない。

 「今、この絵本を読もうとしている君。一つ一つの言葉や絵は、君に知らない世界を見せてくれているだろう。残念なことだけど、時が過ぎ、人はみんな大人っていうものになるけど、その時まで君はその感動を心に抱えていられるかな。世の中の様々な出来事に振り回されて、大切なことを見失っちゃいけないよ。今の気持ちを大事に大事に抱えて、これからの日々を生きていくんだよ。そして、またこの絵本といつの日か出会おう。」

 という意味の「大人になっても忘れたくない」なんでしょうか、これは。