先週書いた「大人になっても忘れたくない」という表現が、まだどうも小骨のように引っかかっている。
http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/57f9d6e35dc1adc882121a8b8ff992b8
「忘れたくない」…何が不満かというと、「忘れる」と「したくない」の組み合わせだ。
「したくない」は意志・決断を表すのだから、自覚的いや能動的な行為、例えば「食べる」「走る」「打つ」等々であれば、何の問題もない。
「食べたくない」「走りたくない」「打ちたくない」等々。
しかし、「忘れる」というような能動的とはいえない動詞の場合はどうなのか。忘れようとして忘れることもあるだろうが、人は黙っていても忘れる者である。その自然な行為!をくい止める表現が「忘れたくない」のだろうか。
他に類似した動詞はあるか。
「眠る」…「眠りたくない」…これは違和感がない。
「死ぬ」…「死にたくない」…これも…あっ、あっと思う。
この二つは無理なことなのだ。
同じように考えれば「忘れたくない」も突き詰めればかなり無理なことに違いない。
ただし限定があれば生き生きとする。
「明日の夜までは忘れたくない」
「自分の国へ帰っても忘れたくない」
のように。
「大人」の範囲は曖昧だが、まあ「長い時が経っても」と受け取ろう。
つまりは、所詮無理な行為を、時間を限定したような表現をすることによって、可能にさせる強い意志をもった言葉が「大人になっても忘れたくない」ということだ。
しばし待て。
「なっても」という表現に少し感情が感じられないか。
本当はなりたくないのになってしまった、仕方のないことだけれどみんなそうなんだよ、あきらめなさい…といったニュアンスを感じるのは私だけか。
とすれば、相当深いぞこの表現は。
「大人になるまで覚えておこう」なんていう能天気な考えを、そのまま直接に表現しているわけではない。
「今、この絵本を読もうとしている君。一つ一つの言葉や絵は、君に知らない世界を見せてくれているだろう。残念なことだけど、時が過ぎ、人はみんな大人っていうものになるけど、その時まで君はその感動を心に抱えていられるかな。世の中の様々な出来事に振り回されて、大切なことを見失っちゃいけないよ。今の気持ちを大事に大事に抱えて、これからの日々を生きていくんだよ。そして、またこの絵本といつの日か出会おう。」
という意味の「大人になっても忘れたくない」なんでしょうか、これは。
http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/57f9d6e35dc1adc882121a8b8ff992b8
「忘れたくない」…何が不満かというと、「忘れる」と「したくない」の組み合わせだ。
「したくない」は意志・決断を表すのだから、自覚的いや能動的な行為、例えば「食べる」「走る」「打つ」等々であれば、何の問題もない。
「食べたくない」「走りたくない」「打ちたくない」等々。
しかし、「忘れる」というような能動的とはいえない動詞の場合はどうなのか。忘れようとして忘れることもあるだろうが、人は黙っていても忘れる者である。その自然な行為!をくい止める表現が「忘れたくない」のだろうか。
他に類似した動詞はあるか。
「眠る」…「眠りたくない」…これは違和感がない。
「死ぬ」…「死にたくない」…これも…あっ、あっと思う。
この二つは無理なことなのだ。
同じように考えれば「忘れたくない」も突き詰めればかなり無理なことに違いない。
ただし限定があれば生き生きとする。
「明日の夜までは忘れたくない」
「自分の国へ帰っても忘れたくない」
のように。
「大人」の範囲は曖昧だが、まあ「長い時が経っても」と受け取ろう。
つまりは、所詮無理な行為を、時間を限定したような表現をすることによって、可能にさせる強い意志をもった言葉が「大人になっても忘れたくない」ということだ。
しばし待て。
「なっても」という表現に少し感情が感じられないか。
本当はなりたくないのになってしまった、仕方のないことだけれどみんなそうなんだよ、あきらめなさい…といったニュアンスを感じるのは私だけか。
とすれば、相当深いぞこの表現は。
「大人になるまで覚えておこう」なんていう能天気な考えを、そのまま直接に表現しているわけではない。
「今、この絵本を読もうとしている君。一つ一つの言葉や絵は、君に知らない世界を見せてくれているだろう。残念なことだけど、時が過ぎ、人はみんな大人っていうものになるけど、その時まで君はその感動を心に抱えていられるかな。世の中の様々な出来事に振り回されて、大切なことを見失っちゃいけないよ。今の気持ちを大事に大事に抱えて、これからの日々を生きていくんだよ。そして、またこの絵本といつの日か出会おう。」
という意味の「大人になっても忘れたくない」なんでしょうか、これは。