すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ここにも楽観の人がいた

2011年07月21日 | 読書
 勤務終了後、動かなくなったPCを持って家電量販店へ。

 修理依頼コーナーのカウンターで待っていたら、隣のカウンターにも親子連れが来た。子どもが二人。そこらじゅうを触って、跳ねてまわっている。
 なんだか見覚えのある子ではないか…ああ、本校児童かあ。
 目があったとたんに驚き、やや動きが鈍った。弟とおぼしき小さいほうの子は、私の傍にやってきて、顔を覗き込む。
 多少、そんなやりとりをしているうちに、またその兄弟は、いろんなものに触りに走った。


 有田和正先生の著書を久し振りに読んだ。

 『このユーモアが「明るい子」を育てる』(企画室)

 十年ほど前の家庭教育向けの著書である。
 副題として「ユーモア家庭教育のすすめ」と記されている。
 内容は、まさに有田先生の真骨頂、ユーモアあふれる内容がユーモアたっぷりに描かれている。
 他の著書や、何度か拝聴した講演で聴いた中身もあるが、改めて「おうそうだ」と頷く言葉も少なくない。

 「さわってはいけません」と言っても、小さい子は必ずさわります。これは手に目があるからです。

 「手に目がある」は慧眼だなと思う。
 初め認識するのは確かに目そのものだが、対象に対して触るという行為こそが「ナニモノか」を探る一番の目になる、子どもが小さければ小さいほどそのダイレクトな働きに制限を加えることができないのだろう。

 私が見かけた兄弟も、まさに「手に目がある」状態だった。

 さて、有田先生はその考え方を発展させて、「あくしゅ」という言葉をキーワード化する。

 花や植物とあくしゅ

 あくしゅしながら見るのよ

 鼻であくしゅしなさい

 見ること(目であくしゅ)は楽しいね


 これらの積み重ねが、「はてな」を持ち「追究する鬼」へ結びつくことは、有田実践をかじったことがある方ならば、容易に予想できるだろう。

 ユーモア表現もまさしくその通りだが、そういった言葉かけの武器を持ちながら子どもの言動を楽しく観られることが、子どもを大きく伸ばしていくと思う。

 ここにも「楽観の人」がいた。