すぷりんぐぶろぐ

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水の山を見上げて

2011年07月06日 | 雑記帳
 先週の研修会で「環境教育」の研究発表を聞きながら、そのプレゼンソフトのテンプレート?のデザインがなかなかではないかと思った。(内容でなくそんなところに目をつけているのか!と叱られそうなので、なかみも良かった、と念のため)
 表紙を見ながら、バックの写真は富士山だろうか鳥海山(秋田富士とも出羽富士とも称される)だろうか、と気になったのだ。

 私たちの住む場所から見ると、それほど富士山に似た容姿を持つのだが、方向が変わるとまるで別人(山だけれど)のように感じるのも確かだ。
 こちらが絶対いい、いやあちらの景観だと、そんな言い合いをしたこともあったなあと思い出した。育った場所から見た姿が、それぞれ一番懐かしいと感じるのは仕方のないことだろう。

 ああ、それにしてもどちらだったろうか。しかし質問でそんなことを訊くのも変だし、終わってから冗談交じりに訊ねるタイミングを逸したことがつくづく残念だ。

 地元で環境教育をテーマにするなら、それは鳥海山がふさわしいだろとは思うが、どうも残雪の形が違うように思う。鳥海山の峰にしては端正すぎるような気がするのだ。

 そんなどうでもいいようなことが頭に残っていたら、ある冊子でこんな衝撃的な!文章を目にした。

 一説に鳥海山頂は世界一の降水量がある場所ではないかといわれる。アマゾンの密林よりも、アジアのモンスーン地帯よりも、鳥海の山頂はさらに多くの水で満たされているのでは…と。

 「断定できるだけの資料こそないが」と断ったうえでの文章ではあるが、大きくかけ離れているとも言えないだろう。
 あのNHK『最後の楽園』でも、暖流(対馬海流)と雨・雪の関係は気候風土に大きな影響をもたらしていたことを語っていた。そうすれば、そういう条件のぴったり重なる位置が、鳥海山にあってもなんの不思議もない。

 ともあれ、そのいわば「水の山」の恩恵をうけて暮らしている多数の生物がいて人間もまさしくその一員だなあと感じるし、そのあたりを発端とした環境教育であれば、また見方が違ってくるかなと考えたりもする。
 エコも節電も大事だが、底の浅いものにしないために幅広く自然を学ぶことも忘れられないだろう。

 環境教育から始めたからには、この程度の締めは必要か…本当のところをもう一つ、「水の山」の恵みの象徴でもある岩牡蠣のもぐり漁解禁が嬉しい。
 もうすぐこちらにも廻ってくるかな。