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長月の研修会参加記②

2011年09月05日 | 雑記帳
 提案授業の二時間目は堀裕嗣先生による国語。クラスは6年1組から2組に替わった。
 
 堀先生の講義や模擬授業は何度か経験済みである。
 子どもを対象に授業をしたときに、どんな感じになるのだろうか…その点の興味はきわめて高かった。
今回は飛込みでしかも対象が小学生という条件ではあるが、やはり「生」の参観によって感じとることのできるものがあった。

 基本的に大人を相手に話をするときと大きな違いはなかったと思われる。
 丁寧さやめりはりがいくぶん強調されてはいるが、全体的に落ち着いたトーンで進められる。感情の起伏が乗せられる声というより、何か学びに誘う知的な響きを持っている声なんだなあと思ったりした。

 主催者側より「教師主導の形式で」?という要望もあったということで、説明や板書に十分時間が割かれたいわばオーソドックスな形ではあった。しかし当然ながら随所に綿密な配慮が目立った。

 その綿密さは、三月に発刊された学級経営の著書の中にも書かれたことと共通する。
 「わかりやすさ」をベースにしながら、汎用性が高い技術の伝達とまとめられるだろう。
 その辺りを私は本当に強く感じた。これはきっと自分も追い求めたが、なかなか迫りきれないもどかしさがあったからなのかもしれない。

 例えば、板書を視写させるときの1行空けの指示をよく私も出していたが、空行を示す二本の線をいつも書いていたりして、いつも自分で散漫な感じを抱いていたということがある。
 堀先生は、それを一つの点(印)で簡潔に示した。
 これが結構強く、自分を唸らせてくれた。
 
 その他、発音発声での導入、用語の徹底…見どころ満載であり、しかも情報交換会での授業解説?によって、その位置づけをはっきり示されたこと。実に学びがいがあった。


 野中先生の「学級づくり講座」。
 そこでの圧巻は、叱り方の実演であった。

 体育館での授業、集合していることが約束の学級において、子どもたちが自由勝手に遊んでいる状況…そこで教師はどう声をかけるか。
 それは様々な方法があろう。
 そこにどの学級にも通用するような最適解などはない。
 ただ、教師の思い、願いはしっかりと伝えねばならない。
 
 それがエネルギーを伴う場合にのみ、子どもたちの糧になっていくと考えている。
 だから、いつ使うかは別問題として、大きく強い声は教師が身につけたい必須科目である。
 いや、どこでどんなふうに身につけるかも結構重要な問題だなあ…あれれ?どうする?

 だからこその学級づくり研修なのかもしれないし、それ以前の問題になっていくのかもしれない。