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長月の研修会参加記③

2011年09月06日 | 雑記帳
 6年生の二つのクラスを対象とした提案授業、そして学級づくり講座のあとは、情報交換会だった。

 会場校の庭野校長先生が進行を務められ、今回の会の視点にそって三人の講師から話を聴くという形である。
 ここでの発言は自分なりにしっかりメモしてあるが、そのどれかを取り上げて、端的に記すことはあまり意味がないかもしれない。
 
 わかりやすく、本質をとらえている言葉…それは講師一人一人の背景が強く感じられるものだから、不用意に引用しても意味づけがぼやけるのではないかと思う。
 ただ一つ、あの場での紛れもないキーワードは、参加した全員が納得してくれるだろうが、この言葉である。

 続ける

 実に深いなあと思う。つまり、何のために、どうやって、どこまで、それらを全て包み込むから。
 ただ、考えすぎて躓いたり挫けたりすることはよくあることで…そう考えると、ある意味「鈍」な部分がとても大事な要素かと…。

 「続ける」から連想できることに、庭野校長先生が続けて発刊なさっている「百冊の本」という私家版の冊子がある。その存在は知っていたが、今回実物を見て「さすが」としか声が出なかった。二冊買い求めてきたので、じっくりと読み込んでみようと思う。

 十日町の東小学校の経営は、授業を受けた6年生2クラスの児童の様子でほとんど象徴されているのではないか、と感じる。
 楽しく明るい、落ち着いてじっくり取り組む、二人の講師の進め方の相違にもよるが、いい姿をした6年生が見られた。

 しかし、そういう学校においてなお「学級づくり」をメインとした研修会を開く意味…それは危機感への正対ということになるのかもしれない。
 ある意味では、東小学校と似たような環境で、似たような子どもたちが育っていると少し自負したい気持ちもある。ただ裏返せば、危機感を退けている自分の姿が透けて見えるような気もする。
 教育という仕事に対する認識や展望…これが、収穫の深さの意味かもしれない。

 東小学校の最寄の駅まで、1キロはなかったと思うが20分近く歩いた。すれ違った部活帰りの中学生が挨拶してくれた。
 無人駅の駅舎には丈の短いスカートを穿いた女子高校生がいて、乗り込んだローカル線には、ボックス席に大きく腰掛け人を寄せ付けない眼で見ている若者がいて、疲れ果てたのかだらしなく眠り込む会社員風の人がいて…どこの地方にもきっとある風景から、何を掬い取り続けるか。
 
 そんなことを考えた帰路であった。