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「コミュニケーションの量の減少」という問い①

2011年09月16日 | 雑記帳
 月初めの新潟での研修会で、情報交換会の後半になった頃だった。
 進行の庭野校長先生が「クラスの中の人間関係」について、講師の方々に、ずばりとその問題点を指摘してくださいと振った。
 講師の一人である赤坂真二先生は、明確に一言でこう言い切った。

 「コミュニケーションの量の減少」

 その後、少し補足されて「子どもたちが教室の中で会話するのは、3,4人だけだというデータがある」というようなことを話されたと思う。
 ふうむ、なるほど。根が素直な?私は、そうだよなあと納得しつつ…ウチの学校ではどうなのかなあ、どこでも当てはまるのかなあ、など少し噛み砕く必要があるという印象を持った。

 帰宅して夕餉時に連れ合いに話すときも、その言葉を話しつつどうも自分ではっきり理解しないうちに、あまり広言するべきではないなという感覚が強く残った。

 コミュニケーションはそもそもビックワードである。まあこの場合は「会話」「対話」と見てもいいだろう。
 問題は「減少」である。

 つまり、減少は「いつから」「どのくらい」「どんな場面で」といった要素の確かめなしに、安易に決めつけることではないと思った。
 また、それが本当であったら(おそらくそうだろうという思いはある)何故そうなったのか、解明が必要だ。
 そして、では減少は悪いことなのか、何が何でも増大させるべきなのか(その増大が何をもたらすのか)といった点を、検討しなくてはならない。
 そんな気持ちになった。

 むろん、私は学者でも研究者でもないし、目の前の子どもたちをコミュニケーションという観点で見つつ、多少なりとも納得できる自分の結論を出せればよいなあということだ。

 そんな心持ちでいると、面白いことにそれに関わる文献や読み物などが、なんだか少しずつ自分に近づいてくるようになった。

 まず最初は、愛知の玉置先生のネット日記だった。文科省に「コミュニケーション教育」を推進する委員会があって、その資料がでたという紹介があった。
 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/08/__icsFiles/afieldfile/2011/08/30/1310607_2.pdf

 これは読み応えがありそうだ。
 時間もかかりそうだが、少しずつ進めてみたい。