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絶望との闘いを支えるもの

2012年10月01日 | 読書
 『なぜ君は絶望と闘えたのか』(門田隆将 新潮文庫)

 「本村洋の3300日」と副題がある。
 あの光市母子殺害事件の被害者の夫そして父親である本村さんについては、幾度もその顔をテレビで見た。

 話題いや争点になっている大よそのことは知っていたつもりだが、当然とはいえテレビ報道などでは到底伝えきれない思いや背景がいかに多かったことか、この本を読んで思い知らされた。

 本村さんの「戦い」の凄まじさは、画面からも想像できた。
 それはきっと尋常なる精神力ではないだろうことも予想できた。
 そのうえでも、この本から得られるエネルギーは大きい。
 厳しく打ちのめされても、一筋の光明を見出せば人間とはかくも強くなれるのだなと感嘆する。


 そしてさらに心打つのは、本村さんを支え、一緒に戦った仲間や上司、後援者たちの存在である。

 公判前に仕事を辞そうとしていた本村さんに対する工場長の言葉は、大人の重みを感じさせてくれる。

 「労働や納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」

 最初の判決後に落胆した遺族、その場で怒りに声を震わせた検事の言葉には、司法に正義の存在を見た。

 「このまま判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。」


 そして、プロローグとエピローグしか姿を見せない筆者自身も、本村さんと高い密着度があったはずで、その存在はかなり大きかったと思う。
 そうでなければこんな書は出来上がらない。

 エピローグ以降で語られる、筆者と被告Fとのやりとりは、また別次元のようでもあり、「命」という一本の線で貫かれているようでもあり、一種不思議な感覚を持ってしまった。

 凶悪な犯罪の被害者と加害者…隔てられた壁の強大さを感じつつも,透けてくる悲しみは似ている気がする。