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大きな壁に気づく本

2012年10月27日 | 読書
 『国語科 授業の教科書』(野口芳宏 さくら社)

 小さい付箋を手元に置いて読み始めた。
 P110まで読み一時中断、貼り付けた付箋は4枚だった。

 三日ほど間を空けて、再び読み始める。
 第三章「4 机間巡視」からである。

 野口先生が「机間指導」という言い方でなく「机間巡視」という呼び方にこだわっていることは何度か伺っている。またときには「机間支援」という言い方(キカンシエン)で笑ったりしたこともあった。

 この項目を読んでいると、野口先生の一斉指導についての考えの揺るぎなさがひしひしと伝わってくる。改めて目を見開かせられる思いである。
 付箋を貼る箇所という読み方ができなくなって、筋の明快さに引き込まれていく。

 かつて「巡視ではなく指導だ」と、誰かの話を聞いたとき、なんとなくそうだよなあと納得していた自分がいた。
 それはやはり「指導観」というものが確立していなかっただけの話なのである。

 むろん「机間指導」という言い方にこだわって、個別やグループ指導を徹底させていくという考えもあるだろう。ただそれを決断するには大胆な指導法の転換が求められる。
 ありきたりの一斉授業をしてきた自分が、「巡視」という言葉のイメージだけに左右されて、その言葉を納得したような気になっていたことは恥ずかしい。

 「巡視」によって「点検・診断・視察」し、授業を組み立てていくのである。そこで個別的指導が行われても、それはかなり限定的なものでしかない。
 作業内容に偏った傾向や顕著な例が出た場合、全員のものにして一斉指導していくことこそ、集団で学ぶ大きな意義だろう。
 そんなふうに目的をしっかり見据えた運転、操縦をしていく「腕」の確かさが求められるのである。

 もしかすれば、机間巡視がない授業も考えられる。
 その意味では一方法にしか過ぎない働きかけである。しかし、いわば「全体視」のみの授業と比較した場合,「聴衆分析」「聴衆反応」を探るより有効な手段であることは確かであろう。
 もっと言えば、授業中における展開継続、展開修正において決定的な位置にある。
 「巡視」に込められた意味を突き詰めると、そうなるはずである。

 他の項目と違う重要性があることを証明するページがある。

 ◆チェック【陥りがちな机間巡視・教師の七癖】

 この本の中でチェック表がつけられているのは、唯一机間巡視だけである。

 一斉指導、全体指導の中で全員参加、全員保障をするための確固たるピースであり、その大きさはかなりの割合を占めていることを読み取れなければならない。
 と同時に、授業力向上の大きな壁とも言えるだろう。