ある講演を聴いた。
講師のキャリアをみると役職も重ねてあるし、各地に招かれたりしている方である。
かつて一回お話を聴いたことはあるが、印象が薄い。
なぜ、覚えていなかったのか、そのわけがこの2回目でわかった気がする。
1ページびっしりにレジュメが準備されていた。
内容は、テーマにそって確かに大事な間違いのないことだった。
発声発音も悪くはなく、強調のための抑揚も感じられる話しぶり。
順序もほぼ予定どおり、その中身によって軽重はつけられていたが、80分きっちりで最後にたどり着いた。
それなのに、なぜ響かないのか。
圧倒的に少ない具体的なエピソードである。
誰しも経験するような、見聞きするような一般的な例示という形は当然示されるが、個人的な例がほとんど見られない。
ということは、実感が伝わってこない。
従って、示された大事な言葉も「ご説ごもっとも」という程度?で止まってしまう。
実感あるエピソード。
やはり聴かせる話はここが芯になる。
と、多くの人が知っていることを今更のように書いた。
ただ、今回の講師の方も具体的なエピソードは持っているのである。
それは質疑応答の時に垣間見られた。特に少し余った時間に「最後にちょっと話したい」と付け加えた、現役教師時代のある授業のひとコマは、実に鮮やかに伝わってきた。
与えられたテーマとの相違はあっても、その場面を切り口に持ってくることはいくらでも出来たはず…話を練り上げるとはそういうことだろう。
解説者のつもりで記したわけではない。我が身に生かしたい。生かせるはずだ、という願望である。
講師のキャリアをみると役職も重ねてあるし、各地に招かれたりしている方である。
かつて一回お話を聴いたことはあるが、印象が薄い。
なぜ、覚えていなかったのか、そのわけがこの2回目でわかった気がする。
1ページびっしりにレジュメが準備されていた。
内容は、テーマにそって確かに大事な間違いのないことだった。
発声発音も悪くはなく、強調のための抑揚も感じられる話しぶり。
順序もほぼ予定どおり、その中身によって軽重はつけられていたが、80分きっちりで最後にたどり着いた。
それなのに、なぜ響かないのか。
圧倒的に少ない具体的なエピソードである。
誰しも経験するような、見聞きするような一般的な例示という形は当然示されるが、個人的な例がほとんど見られない。
ということは、実感が伝わってこない。
従って、示された大事な言葉も「ご説ごもっとも」という程度?で止まってしまう。
実感あるエピソード。
やはり聴かせる話はここが芯になる。
と、多くの人が知っていることを今更のように書いた。
ただ、今回の講師の方も具体的なエピソードは持っているのである。
それは質疑応答の時に垣間見られた。特に少し余った時間に「最後にちょっと話したい」と付け加えた、現役教師時代のある授業のひとコマは、実に鮮やかに伝わってきた。
与えられたテーマとの相違はあっても、その場面を切り口に持ってくることはいくらでも出来たはず…話を練り上げるとはそういうことだろう。
解説者のつもりで記したわけではない。我が身に生かしたい。生かせるはずだ、という願望である。