すぷりんぐぶろぐ

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ささやかな「なべっこ」の温かさ

2012年10月09日 | 雑記帳
 先週金曜日、学校で「なべっこ会」があった。

 注(笑) :「なべっこ」とは、秋田県沿岸部・内陸南部で使われている言葉だ。全国的には山形の「芋煮会」という名称が有名だ。しかし、地区によって味つけは異なる。参照は以下に)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%8B%E7%85%AE%E4%BC%9A

 同日開催の校内マラソン大会は風雨のため中断した形となったが、その後の「なべっこ」は材料も買い揃えてあるし、招待者もいるので、少し残念だが校内での煮炊き、会食となった。

 しかし、私には前任校でその行事がなかったので、4年ぶりに味わうことになった活動であり、やっぱりいいなあと感じた。
 「精選」の名のもとにカットされた多くの行事があるなか、秋の日のこうしたほのぼの感の残る活動は、子どもたちにとって貴重な時間だと思うのだが、どうだろう。

 あくまで個人的な体験ではあるが、この活動の変遷をたどってみれば、学校がいかにゆとりなくなっているか、はっきりわかるような気がした。

 その昔は「なべっこ遠足」だった。
 これは自分が中学・高校の頃もあったし(いったい何年前のことを話しているのか)、教員として務め始めた時期もまだ存在していた。
 秋、一日日程で近くの山まで歩いていき、そこで鍋を作り、遊んでくるだけ。30年ほど前の大らかな光景である。

 次の段階は「遠足」ではなくなった。
 校庭を使い、煮炊きをする。マラソン大会とセットになって、秋の半日を楽しむのだった。
 学年縦割りなどで集金をし、買い物なども子供たちに任せるのが普通だったが、O-157の食中毒騒ぎのあたりから少し様子が違ってきた。
 確かその年は、肉だけは全部一律に学校サイドで準備して配るといった方法がとられた。「肉係」として手配し、グラウンドに散らばった各グループをマイクで呼びかけたときもあったなあと思い出す。
 これが15年ほど前か。

 学校規模や環境によっても違うだろうが、もしかしたらこの頃からこの行事の有無の検討が始まったのかもしれない。

 当日は、がんがん(灯油の空き缶などで作った煮炊きの台)やなべ、包丁など必要なものを、全部分担して登校するのが普通だった。そのため一輪車に入れて押してくる子もいた。
 そういう風景も、安全上の問題が指摘されたり、家庭だけで揃わなかったりして、学校側で準備するものが多くなった。
 かつては、持ってくるものの分担でもめることもあったものだ。

 従って、現在は、材料と小物ばかりを分担する形が多いのではないだろうか。
 安全上のことや時間の節約もあり、材料も入れればいいように家庭で切ったり刻んだりして、入れればよいだけという形になっている。

 そこまでして何の「体験」か、と思う向きもあろう。

 しかし、ほんのわずかの手間であっても、自分たちで作った鍋を囲む時間はやはりそこに温かさがある。
 給食では食べられないネギを、美味しいとばくばく食べる子の笑顔がうれしかった。

 かくして20グループすべての「なべっこ」は完食された。

 このささやかな温かさは、なくしたくない。