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下降線の中で未知数を探す

2012年10月05日 | 読書
 『きのうの神さま』(西川美和 ポプラ文庫)

 『ゆれる』という映画が面白く、西川美和には注目していたが、まだキネマ旬報の09年ベスト1となった『ディア・ドクター』は観ていない。
 今年の『夢売るふたり』も評判がいいようだが、やはり秋田市まで出かけて…とまではいかない。
 まあ所詮その程度の関心なのだが…「直木賞候補作、ついに文庫化」という本の帯に惹かれて、つい買ってしまった。

 全五編、うち四つに医者が登場する。
 映画『ディア・ドクター』は「僻地の医療」が題材らしい。
 その取材を生かす形で「映画の時間軸では語りきれなかった、さまざまなエピソードや人々の生き方を、この本の中で蘇らせた」と著者はあとがきである「謝辞」で書いている。

 確かにそんな趣で、この短編集のなかにある「ディア・ドクター」は、いうなれば親子と兄弟の確執が中心になっていて、題名は同じだが僻地という設定でもなく、まったく別モノであろう。

 そうなると「ありの行列」「満月の代弁者」の二つが、僻地の医療が語られているし、多少映画にも反映されているのかもしれない。

 島や半島の漁村なので、私の暮らす山村部と安易に比較できないかもしれない。しかし、高齢化や介護の現実は似通っているものがある。
 それをテーマに筆者が描きたかったことは何なのか。

 例えば「生の全う」ということだろうか。
 例えば「病とは何か」ということだろうか。
 例えば「なだらかな死への下降線をどう見るか」ということだろうか。

 様々な受け止め方ができるなあと思った。
 そこが魅力と言えるのかもしれない。

 さて、「ノミの愛情」という作品では、外科医の妻に納まった元看護婦の日常からの脱却が描かれる。
 磨き上げられた階段で転倒し重傷を負った夫を、救急車を待つ間に手当をしながら「生きているって、こんなに楽しい」と思う感覚に、筆者の意図を垣間見る思いがした。

 文中の言葉を借りれば「未知数」なのである。
 救急救命の現場にいた妻は、言うなれば未知数との出会いが文句なく多かったことで得ていた生の実感を取り戻したかった。

 それを他の作品に当てはめようとした時、見えてくるのは個や集団にある内的な未知数との遭遇を求めることか。

 独りよがりに結論めいてみたが、誰かに示された下降線の中で(言うなれば人生はみんな下降線という見方もできるが)、未知数を探すことほど面白いことはないのかもしれない。
 そこには,見つけやすいことと見つけにくいことの区別があるだけだ。