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名は,深く豊かなものだが…

2012年10月15日 | 読書
 『歴史を考えるヒント』(網野善彦 新潮文庫)

 裏表紙にこんなことが書かれている。

 日本、百姓、金融……。歴史の中で出会う言葉に、現代の意味を押しつけていませんか。

 比喩表現ではあるが、「押しつけ」とは少々手厳しい。知識のない者は知識のないままに意味をとらえるのは普通ではないか。
 つまりここは「押しつけられてきたことを素直に受け取るな」という警告なのだなということがわかる。

 この本には、その押しつけられてきた歴史が多く載っている。
 普通「語義」などに興味を持つ人は少ないだろう。
 しかし、ここで最初に扱われるのは、この「日本」という言葉である。
 内田樹氏の著書にもその記述があったはずだが、この表現は明らかに西方つまり大陸から見た位置そのものである。

 ただ、私にはその事実より、この国名がずっと続いてきたことが、一つの驚異のように思えてくる。
 そして今まで、自分がその名前が「いつ」決められたかについての知識を全然持っていなかったことも。
 多くの人もそうではないか。鎌倉幕府や江戸幕府の年号は知っていても…。

 「日本」や「関東」などの地名、「百姓」「人民」などの呼称についてあれこれが語られる。
 個人的には「道」「土」「ケガレ」といったことの部分が楽しく読めた。

 説得力があり興味深いが、学術上の定説とまではなっていないようだ。
 いずれにしても、名付けは、「分かる」ために「分ける」作業を通して進行される。
 その過程の中でどういう言葉を選択するかは、大きい。
 歴史のなかで行われた選択作業が、意図的であれ偶然であれ,その後を左右する一因になっていることは疑いようがない。

 名は深く豊かなものだが、怖ろしさもごろごろ転がっている。