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聞かせ,聴き入れる人

2013年01月07日 | 読書
 年越し旅行を控えていたこともあり、あまりに慌ただしかったので、年末に読んだ二冊の教育書について感じたことを記す余裕がなかった。
改めて、ここに残しておきたい。

 『声の復権~教室に読み聞かせを!』(有働玲子 明治図書)

 以前読んだのかなあと思っていたが、違っていた。
 この本は、広義としての「読み聞かせ」に関わる実践書として、よくまとめられている。
 自分としても読み聞かせをある程度してきたつもりだが、読み聞かせから国語科実践へという流れは、あまり意識しなかったことなので、紹介されている実践例は貴重だった。
 「比べ読み」はかなり一般的になってきているが、この著の発刊された当時(2001)はどうだったんだろう。
読み聞かせという手法を取り入れれば、「比べ読み」はかなり汎用性の高いものになるという単純なことに気づいた。


 『「ファシリテーション・グラフィック」入門』(藤原友和 明治図書)

 夏の研修会で購入したのだが、きちんと読んでいなかった本だ。
 ファシリテーション・グラフィック(FG)について興味はあるが、自分じゃできないだろうなあ、というあきらめが強い。この本を読みきっても、意欲がそんなに上がってもこない。
 といって、内容がけして悪いわけではない。

 「議論を変えるFG・10の機能」
 「誰でも使えるFGスキル」
 「授業で使えるFGスキル」
 「FGで進める校内研修12カ月」


という章立ては、授業・校内という言葉がなければ、完全にビジネス書といってもいい構成だ。十分に役立ち感は伝わってきた。
 写真中心に実例が豊富なので、こんな自分の頭にも残るそれらが、きっといつか姿を見せてくれるのではないかと期待している。


 さて、この二つを並べたのは偶然であるが、ある点で非常に面白いことに気づいた。
 「聞かせる人としての教師」と「聴き入れる人としての教師」について語っている気がしたのだ。

 読み物を媒介にしてあることを聞かせるのは、昔から教師の役割であった。スピーカーという言葉は一面ではよくないイメージはあるが、正しい形容でもある。
 一方、話し合いを聴き取り、文字情報等に視覚化するという作業は、調整という役割を前面に出しながら、的確に聴き入れること抜きに成立しない。いわばレコーダー的機能だ。それに視覚的再生が加わる。

 ありきたりの結論だが、使っていないと性能はにぶくなるだろう。
 それは、本体が旧式であっても同じことだ。