楽しい時間はあっと過ぎる、というが、それは良いことか悪いことか。
いや、やはりこれは問いのたて方がまずいかもしれない。
限られた人生の中で、速く時間が過ぎるように感じることは、なんだかもったいない。
けれど、「楽しい」とか「夢中」とかの連続であるならば、苦しい時間が長いよりどれほどいいことなのか。
ところが、ある雑誌の連載に脳科学者茂木健一郎氏が、こんなことを書いていた。
ホームの活動ばかりやっていると、「時間泥棒」が出現する。
ここでの「ホームの活動」とは、特に仕事において「自分が慣れ、親しんだ、いわば得意分野」のことだという。
いやあ、できれば得意分野だけで仕事ができないものか、などとしょっちゅう妄想している自分などは、もはや時間泥棒の餌食となっているのかもしれない。
確かにこの齢になれば、時間の経つのがはやいような気もする。齢を重ねた人間というものはみんなそうなのか、一人一人訊いたわけではないが、結局年配になるにつれ、自分が慣れ、親しんだことに時間を費やすことが増えているから、そう感じるのだとすれば、なんとなく納得である。
茂木氏は書いている。
ホームだけでなく、アウェーに挑戦することで、小学一年生の一学期のような、充実した時間の流れを取り戻すことができる
振り返ってみても、自分が一年生のその時の感覚を思い出すことはできないが、目の前にいる子どもたちの時間の流れがゆっくりであろうことは、想像できる。
教員は数年ごとに職場が変わるので、その度に一種のアウェー感覚で仕事に対することができる。しかし半年過ぎてしまえばもう完全にホームになっているのかもしれない。
そのあたりの意識の持ち方、意図的に「アウェー比率」を高めていく自らの設定など、ちょっと新しい視点を持つべきかなと、厳寒の季節に考え始めている。
いや、やはりこれは問いのたて方がまずいかもしれない。
限られた人生の中で、速く時間が過ぎるように感じることは、なんだかもったいない。
けれど、「楽しい」とか「夢中」とかの連続であるならば、苦しい時間が長いよりどれほどいいことなのか。
ところが、ある雑誌の連載に脳科学者茂木健一郎氏が、こんなことを書いていた。
ホームの活動ばかりやっていると、「時間泥棒」が出現する。
ここでの「ホームの活動」とは、特に仕事において「自分が慣れ、親しんだ、いわば得意分野」のことだという。
いやあ、できれば得意分野だけで仕事ができないものか、などとしょっちゅう妄想している自分などは、もはや時間泥棒の餌食となっているのかもしれない。
確かにこの齢になれば、時間の経つのがはやいような気もする。齢を重ねた人間というものはみんなそうなのか、一人一人訊いたわけではないが、結局年配になるにつれ、自分が慣れ、親しんだことに時間を費やすことが増えているから、そう感じるのだとすれば、なんとなく納得である。
茂木氏は書いている。
ホームだけでなく、アウェーに挑戦することで、小学一年生の一学期のような、充実した時間の流れを取り戻すことができる
振り返ってみても、自分が一年生のその時の感覚を思い出すことはできないが、目の前にいる子どもたちの時間の流れがゆっくりであろうことは、想像できる。
教員は数年ごとに職場が変わるので、その度に一種のアウェー感覚で仕事に対することができる。しかし半年過ぎてしまえばもう完全にホームになっているのかもしれない。
そのあたりの意識の持ち方、意図的に「アウェー比率」を高めていく自らの設定など、ちょっと新しい視点を持つべきかなと、厳寒の季節に考え始めている。