すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

身の丈にあった仕事や出会い

2013年01月14日 | 読書
 そんなに数多く読んでいないが,結構気に入っている作家である。
 静謐な文体とでも言えばいいだろうか。
 この女性誌に連載されたというエッセイ集でも,十分に感じることができた。

 『カラーひよことコーヒー豆』(小川洋子 小学館文庫)


 雑誌のターゲットがどのような層なのかよくわからないが,「仕事」に関わった文章が多いようだ。自らの小説づくりにも触れて,次のように断言したところが興味深い。

 小説を書く時,登場人物の職業を何にするかは,最も重要な問題になる。仕事さえはっきりすれば,自然とその人の人格や人生も見えてくる。

 人と仕事の関係づけは一律ではないが,どうしても切り離せないことと断言しているような気がする。
 多くの人の働く姿に元気づけられ,励まされてきたという作者は,こんなふうに吐露している。

 働く人,と聞いて一番に私が連想するのは,やはり母だろうか。

 職業を持たず一家の主婦であった母の姿が,この作家の表現の素地を作っているのかもしれないと想像させる。
 平凡に見える生活に潜む感情を丁寧に引き出す,掘り起こして磨きにかけるような作業のイメージが湧いた。

 「料理の喜び」と題した一文も,生活環境,食材や場面,身近にいる人,その時の感情など細かく見つめているからこそ,シンプルに料理の持つ本質に迫っていると感じた。


 「人と人が出会う手順」と題された内容に,唸ってしまった。

 大学時代に同好の仲間を募ろうとすれば,掲示板にポスターを貼るしかなかったという思い出から,現在のネット時代の人の探し方に文を進めている。そして海外旅行でのガイドとの出会いで締めくくられている。
 こんなふうに書いている。

 インターネットの発達した現代では,どれほど特殊な趣味を持った人でも,たやすく共感し合える相手を探すことができる。それはたぶん,世の中のありようを変えるのに,十分な革新である。

 著者はそう思いつつ,それに与しない出会いを求めているようだ。

 出会いそのものに必然はない。しかし,必然と感じる偶然によって出会いが生じることの方が,きっと豊かな実りを連想させる。
 それは,ネットを通して出来ないことではないが,おそらく一枚の朽ちたポスターを見つけ直接的に出会っていた時代の方が,人間の背丈にあっているのではないか,相応しい間隔の取り方ではないか,と思う。著者もそんなことを考えているのではないだろうか。