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下りる豊かさ

2013年01月05日 | 読書
 昨年売れた新書であることは知っていた。しかしある程度内容に予想がつくので,正直なところあまり興味は湧かなかった本だ。

 『下山の思想』(五木寛之 幻冬舎新書)

 昨日立ち寄った大型スーパーの書店で,文庫本2,新書1,単行本1を購入したのだが,新書としてこの本を手にしてしまったのは,きっと元旦の新聞に載っていた橋源一郎と赤坂憲雄の対談が頭に残っていたからだろう。

 記事の大見出しとして「豊かに『下りる』暮らし 草の根実践 大切に」と題された,なかなか考えさせられる内容だった。

 政権がまた交代し,何かまた「右肩上がり」への志向を打ち出しているように思う。結局は経済絡みのことでしか語られない現実の中で,私達はどこを向いたらいいのか,本当に真剣に考えるべき時期に来ている。

 さて,この新書で著者が語る「下山」は,世界全体の歴史を踏まえたレベル,我が国に関わるレベル,個人にとっての暮らしレベルと,表現としては混在しているように見えるが,一貫した「思想」のうえに成り立っている。
 それは,現状を巨視的にとらえ,深く受け入れる姿勢にある。

 その姿勢をどうみるか,賛否は分かれるだろう。
 少なくともこの国のリーダーたちが,そういう方向へ大きく舵をとっていくことは簡単に期待できることではない。
 そこでどうするのか,五木の新書では個人レベルでの心がけのようなことが大半で,やや不満が残る。

 新聞の対談にもどれば,こうした現実認識をもって進むことが大事なのではないか,という言葉がある。
 橋源一郎の言である。

 この社会は経済成長のために「独り」「個」を人々に強制してきました。壮大な実験は,うまくいかなかったんだと思います。人間の能力を見誤った。それは科学との関係でも言えて,やっぱり人間は神じゃなかった。

 「身の丈を知る」ということをもう一度噛みしめながら,今あることを生かしながら,新しい共同体やコミュニティを意識し,つくり直すことが求められている。

 政治の行方とともに,マスコミ,メディアの動きがとても気になり,また不安もある。
 全く背を向けるのも一方法だし,あえてそれを利用しようと策を練るしたたかさもよくないか。

 また,これからは「下山」の連続だ,などというと寂しい気持ちも湧いてくる。
 しかしそうではなくて,いかに豊かで実りある下山にすればいいか工夫しようということなのだ。


 ところで,『下山の思想』の文中に「備えるということ」という項目があって驚いた。
 今年の一字と決めた「備」に何か得られる考えがあるのかと思って読んだ。
 実際は,震災に絡んだ身辺雑記のようなものだったが,その中でまさにこの一言は,象徴的でかなり現実的な戒めとなった。

 本当に必要なときには役に立たないものが,自分の身のまわりにはどれだけあることか。

 モノだけではないのかもしれない。
 「備」は取り揃えておくだけでは駄目であり,点検や補充を意識してこそ,有効であり続ける。