すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

20年前の冬花火

2013年01月24日 | 雑記帳
 今日は、朝の活動で読み聞かせがある日。
 地域のボランティアの方がいつものように三人いらした。
 高学年では大型紙芝居をやっていたので、終わってから誰が作られたのか訊ねたら、自作だという。
 『山谷の大男』という民話をもとに、絵も語りも自分で書きあげたらしい。教職の先輩ではあったが、そこまで手をかけているとは知らなかった。

 そんな話をしながら、そう言えば自分も似たようなものを作ったことを思い出した。
 数えてみたら、ちょうど20年前であった。94年の冬のことだ。

 地域イベントへの参加依頼があって、地元に伝承されている義人「甚助」の話の脚本を書き、それをバック絵とペープサートで演じる形に仕上げた。
 低学年の担任をしていた当時で、委員会活動か何かで高学年の子どもたち数名とともに練習、録音などした記憶がある。

 当日は、真冬の屋外、しかも夜の時間帯に行うということで、今考えるとよくやったものだと思う。
 もちろん、レベルはしれたものであるが、ユニークさは際立っていたような気もするし、何かの新聞にも載ったことを覚えている。
 ついでながら、江戸時代の凶作にあえぐ農民の話に、長渕剛の『RUN』をバックミュージックとして使った我がセンスの良さにしびれてしまう(笑)。

 さらに、同じときに、その雪で作った!ステージに立ったのが、全身を金ラメで塗りたくった暗黒舞踏系のダンサー、そしてその春に都会へ旅立つという歌手志望の娘(数年後に紅白に出る…)だったことも忘れられない。

 私たちの出番が終わり、このイベントのメインとなる花嫁道中が、馬そりに引かれて山間の広場に到着したとき、漆黒の冬の夜空に輝いた花火の大きさは、今も目に鮮やかだ。

 ともあれ、その舞台「ゆきとぴあ七曲」
 http://www.town.ugo.lg.jp/sightseeing/detail.html?id=345&category_id=133
 27年にも及ぶ歴史を持っている。
 内容は少しずつ変わってきたが、健在の部分もある。

 今年も明後日の開催である。
 「暴風雪」の予報は外れてほしいなあ。