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桜と絵本と豆乳と

「海炭市」の人々に寄り添う

2013年01月12日 | 読書
 『海炭市叙景』(佐藤泰志 小学館文庫)

 今まで読んだことはなかったが、書評などを目にしていたので気になっていた作家の一人だった。
 この小説は、函館がモデルとなっている「海炭市」を舞台として、市井の人々を連続に描いた群像劇とでも言えばいいのだろうか。

 それにしても、冒頭の「まだ若い廃墟」と題された話は切ない。貧困にあえぐ兄妹が一緒に初日の出を見に「山」へロープウェイで向い、先に麓まで降りた妹が、歩いて下山してくる兄を待つというストーリーだが(結局、兄は遭難して死ぬ)、なんとも正月にふさわしい(苦!)内容だと、こちらまで暗くなってしまった。

 しかし、そんな内容にも関わらず,人物の心象風景を描くのがうまいというか、視点変換を使った語りに巧みに誘導されて、その作品世界にぐいぐいと引きこまれた。
 20年以上前に、その当時の状況設定で書かれたものとは思えないほど臨場感があるのは、いわば日常にひそむ人間性の根っこの部分がよくわかっているからだと思う。

 80年代半ばから後半までが、地方都市や農村にとって大きな変換を目の当たりにした時期だったことを、今さらながらに感ずる。そういう場面を鮮やかに切りとって見せている。
 世間を騒がすような大きな事件、事故を描かれていない。またミステリーのような仕掛けが組まれているわけではない。
 人物の淡々として流れる日常が、何か大きなことと対比されるように淡々と書き込まれているような印象だ。

 「大きなこと」と書いて思い出すのは、確か山田洋次監督の『故郷』という映画で、井川比佐志が妻倍賞千恵子に語る台詞だ。
 単純に「高度経済成長」と言い換えていいかもしれないが、それ以上に人間の持つ欲や業のような正体の知れない響きも聞こえてくるようだった。

 その意味でも、第二章の最初「まっとうな男」は強烈だ。
 離職し職業訓練校に通う寛二は、五十歳を越えた一番の年長者である。週末で自宅に帰るときに、スピードオーバーで警察の覆面パトカーに捕まる。
 寛二はビールを飲んで運転していた。そのことについての罪の意識はあまりない。
 それより、見通しのいい直線道路で制限速度を守り、追い越す車を待っているような警察のやり方に腹を立てる。

 「悪いことはしていない」「盗んでいない」……

 それが法律だから、という理由で捕まえられることを私達は単純に認め過ぎてはいないか…ふとそんな気持ちが湧いてくる。犯罪擁護のつもりはないが、やはりどこか侵食され始めている。

 続く作品の『ネコを抱いた婆さん』の姿に憧れる。
 道路建設のために立ち退きを要求されるが、じっとその場所で豚を飼う仕事に専念している。それを見守る家族の姿にも矜持を感じた。

 いつの時代も、偏屈に見える人の言葉には真実が宿っているものだ、ということに気づかされる。