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人を育てる人の息吹

2014年01月25日 | 読書
 「2014読了」10冊目 ★★★

 『究極の説得力』(平 光雄  さくら社)


 なかなかインパクトのある書名である。
 これだけなら、ビジネス書系と考えられるが、出版がさくら社であるし、副題として「人を育てる人の教科書」とある。
 読まねばなるまい。

 「はじめに」の冒頭の一文。

 教師にとって最も大切なものは説得力である。

 ガツンとかます書き出し、ストレートパンチの繰り出しから始まる中味は十分期待の持てるものだ。


 第一章「人を育てる仕事に就いたのだ」は、いわば前提。
 教職の仕事や技能に関する基本的な姿勢、心構えが記されている。
 特に「土台づくりはスキマ時間に」という考え方には強く共感を覚えるし、教師の日常を強く支えてくれるはずだ。


 そして、第二章「つまるところ説得力勝負だ」の冒頭は、ストレートがまた繰り返される。

 教師に一番大切な力は、説得力である。

 ここからじわじわ効いてくる。
 対象を説得するために身につけるべき具体なことが語られていく。

 しかし内容は単なる技術論ではない。
 技術論で説得力は向上しないということが、この本の結論の一つではないかとも思える。

 この思いが典型的に表れているのは、著者が話力総合研究所における実習後、師より指摘され、決意した次の文章である。

 「実感のこもらない言葉はひと言も話さないことにする」というルールを自分に課した。「ひと言も」である。


 現実的でない、理想論だろうと退けていいものだろうか。

 自分もどちらかと言えば実感を口にするタイプだったし(深い考えなしにだ)、その意味では変わり者と見られてきたかもしれない。
 しかしこの頃はずいぶん平均的な言い方に落ち着いてきた(と思っているだけか)。
 では今、そんな自分をどう評価しているのか、と問われるような気がした。


 説得力を、仮に「言語表現によって相手の意識や問題を変容させる力」と定義したときに、その言語表現に自己の「生」がどれだけ反映されているか、それが究極を目指すためには不可欠なのだ。

 本文から「ことば」として取り出せば、著者の師が語る「息吹」である。

 「何の息吹も感じやしねえ、あんな話は二度と許さん」…他に絶賛された著者のスピーチをこう評価したエピソードである。

 これは、つまり「生きているか」ということである。
 人を育てる語りかけ、そこに込められる自分がどれほどあるか。
 野口芳宏先生がよく口にされる「本音・実感・我がハート」という句が思い浮かぶ。

 究極の説得力は、生の証しを求め、それを言語化するなかで産まれてくる。
 人を育てる人は、絶えず息吹を持っていなければならない。